事業評価と議会

補助金等の無駄遣いについて喧しい。なるほど、無駄に使われているものが多数あるだろうとは、市民感覚でも想像できる。カラ出張のようなものはいわばねつ造であって、犯罪に近いものだと思われるが、「預け」や「貼り付け」も同様に悪質でありながら、そこには補助金事業の制度的な欠陥と議会の機能についての問題があるように感じている。
補助金は個別の補助金ごとにその要綱が定められ、法的に処理されている。事業ごとに定額*1や定率*2補助金*3などがあり、その全体を補助金交付規則などで手続きを定めている例が多いように理解している。
例えば、学童保育について、その運営経費を補助する事業があったとしよう。運営経費とは何かが定められて、その部分について補助金の交付の約束がされる。運営なので、学童保育の施設を建設するようなものには当然この補助金は充当できない。しかし、学童保育の設置者が同じ学童保育の事業のなかでそこに支出するのはかまわない。補助金は、補助金を交付するとした経費において適用されるものなのだ。
ややこしいが、ちょっと架空の事例として書いてみよう。
A市がB学童保育所を今年の4月から始めたとする、建設について1億円かかった。この建設については、平成19年度事業として、国と県からそれぞれ2分の1の建設費の補助を受けたとする。国と県にそれぞれ学童保育所の建設を促す施策があり、うまくそれぞれの事業を活用することで、建設費の補助該当の総額を補助金でまかなえることになった。ここで多くの人は、A市の財政出動がなかったように思ってしまう。違うのだ。補助金はあくまで補助金であって、事業の主体者はA市である。そのため、A市はこの事業の総額1億円を予算に計上している。まずは、自前で支出する。支出したうえで、これこれこういうことにいくら使ったので補助金を交付してくださいと報告し、それを国や県が吟味して、全額認めたり、あるいは、そのうちの一部は補助金の交付対象とならないので、その分減額して交付しましょうということが起きる。
補助金事業の実施要綱に細かい規程があって、学童保育所として必要な施設がいくつか挙げられていて、そのなかに含まれないと考えられる部屋があった場合には、その分の建設費が補助金の対象から外れる。それが仮に1000万円だったとすると、事業総額は1億円だけど、補助対象経費は9000万円になるため、国、県の補助金額の上限は9000万円をもとに計算される。しかし、国はそれを補助対象とは見ていないが、県独自の補助事業として、地域的な特性を見込んでその部分を認めるということも考えられる。すると、1000万円の2分の一が県の補助金として交付される場合が出てくる。
これが平成19年度中に事業が終わらない場合には、平成19年度中の経費に関して補助対象となるのだが、繰越についての規程があれば、平成20年度中の経費についても補助対象となる。しかし、その場合には、A市においても翌年に繰り越すよう議会で補正予算などを承認*4してもらうことが必要になる。
無事、平成19年度中に学童保育所ができたとして、平成20年度においては、同様に国や県が事業化している運営に関する補助金を使う。この補助金は、前に挙げた補助金とは別のもので、例えば、保育員の人件費などにかかる経費などを補助することになるだろう。ほかには、運営上必要になってくる消耗的な経費や、場合によっては一部の備品などへも補助する可能性があり、それらは補助要綱で定められる。手続きは建設などの補助金と変わりなく、補助を行う法律規則などで定められている。そこで、例えば、規模に応じて保育員の人件費についての人数制限がある場合を考えよう。
補助金の考え方とすれば、一定の規模に保育員の数を少しでも上乗せできるように施策誘導するわけで、A市の定数としてB学童保育では3人の常勤保育員を確保しているとすれば、臨時に増員できる分の経費か、あるいは、定数を超えて常勤を増やすことが可能になる経費について補助金を交付することになるのが一般的だ。予算上の措置としては、一日単価基準に対して勤務日数をかけた数で、上限が設定される場合もあるだろう。そして、実際に使われた額で補助金額が算出され、交付される仕組みは、おそらく、建設に要する経費と同様である。
いくつかの例外がありながら、多くはこうした仕組みを取っている。前置きが長くなった。では、ここのどこに制度的な問題が見え、議会機能の欠陥があるのだろうか。
仮に建設費や人件費が想定していた費用を下回ったとしよう。総額1億円の事業で、補助対象が9000万円だとしていたものが、1割の縮減に成功して、総額9000万円、補助対象額分が7800万円になったとする。安く上がったのだから税金を節約できたと考えればいいのだが、なかなかそうはならない。
しばしば、前年の決算額で翌年度の予算が決まるので使い切るために3月などの年度末の事業が多くなると言われているが、現在、おそらく公共事業体は決算ベースで予算を立てるわけではない。そもそも予算編成時期には執行見込みは見えるけれど、決算額はまったくわからない。一般的に2月は予算議会で、6月が決算議会になる。そのため、ステレオタイプ的に語られる次年度予算確保のためは、執行見込みを達成するために駆け込みする以外には考えにくい。
ここで考えてみたいのは、前例のような工事費がずいぶん節約できた例だ。予算見積もりよりも1割も安くできたことを市民レベルで、まず、どう考えるか。どうしてそんなに安くなったのか、何か欠陥でもあったのではないか、あるいは、予算見積もり自体に問題があったのではないかと考えないだろうか。しばしば、民間感覚でものを考えろと注文を付ける人もあるが、こと公共事業に関しては、このような指摘は容易に生まれるだろう。また、財政として考えたときには、少なくとも補助金として見込まれていた歳入が1200万円減少する。厚生関係の事業費も1000万円の減額である。予算の縮小としか見えない場合もあるだろう。いや、しかし、その事業は1割削減で完了できたのだとするが、それをだれがどう保証するのだろう。
事業評価の仕組みがかなり以前から議論され、取り組みがなされているのはそのためだ。財政ベースで見ていると、削減は事業の縮小であり、目標への未達と読みとれる可能性を否定しきれない。その懸念への現実的な対応として、最近問題視されている手法が行政機関の内部に慣例化したとは考えられないだろうか。
それゆえ、課題は精密な事業評価であり、その手法や具体的な評価プロセスについてかなり明確に着手しているのは大きな評価ができる。*5しかし、その評価はいわば内部的な評価であって、その事業がどこまで成果を上げているかを総合的に判断するにはもう少し食い足りないようにも思える。特に、行政的な視点ではなく、市民レベルとしてどう事業評価するかは、無駄の節約のために重要な課題となってくる。そこで、議会である。
ボクは、民主主義という制度を取る限り、選挙と議会にはどこまでも必要なお金をかけるべきだと考えている。*6それは、選挙こそ民主主義のなかで市民がその権利として政治を遂行する場面であり、そこから選出された議員には、一定の保証が必要であると思っている。それは、市民から政治の権限の一部を付託された議員の機能を遂行するために必要な義務的経費である。ここでの議論からつなげれば、議員こそ、事業の総合的な評価が可能な人材であり、その役割を委ねられ、また、議会という場面でそれを具体的に明らかにしていく義務を負ったものだと考えているのだ。しかし、議会の制度がそのようになっておらず、また、評価といいながらすべての事業を見通せるほどの物理的な時間もあり得ない。議論の中心をそこにおかない限りは、この問題の見通しが立たないように思える。
あるコメンテーターはたくさんの事業費を節約したところに、ひもなしの財源をより多く交付したらいいなどと話していた。事業費をふくらませて見かけの縮減率を上げてしまうこともできるだろうし、また、結局、財源が渡されることになる。財政制度の根幹からの見直しは、国、都道府県、市町村という公共事業体の財源の在り方の議論と、ここで主張したように議会制度の見直しにつながるべきだと思う。
あ、長く書いたな。でも、それほど詳しいわけではないので、具体的な提言はできない。そこは少々もどかしい。学校のように事業評価が難しい場合にはどうすればいいのだろう。現状のように、教員の給与が補助金をベースに成り立っていることで何がどのように問題になっているかは、残念ながらボクの見識が不足している。

*1:補助金に該当する事業ごとに一定額の補助金を支給するというもの。

*2:補助事業の対象となる金額の総額に対して一定の割合を補助するというもの

*3:補助金交付金、委託料など補助的に支出される事業費にはさまざまな種類がある。一般的に補助金として括っているものに、交付金や委託料が含まれて表現されている場合も少なくない

*4:金額によって手続きは異なる

*5:今回の報道は、経費処理の面を問題視しているが、事業の内容について適不適の対立的な見解があったことは、各主張のコメントからも読みとれる

*6:無論どうでもいい経費を費やす理由はない。議員の歳費や調査費に手を付けたり、選挙費用を無駄を理由に削減してはいけないと思っている