久しぶりに

朝、まったくからだが動かない。どこかがきついとか、痛いとかいうのではなく、動かない。何しろ、夜寝ていてもあまり暖かくならない。こういうときにはどこか調子がよくないのだろう。以前、こういう状態から自律神経失調症に陥った。気を付けなければいけない。
仕事はとりたててきついわけではないのだが、こういうときが微妙に危ない。緊張して乗り切っているときには何かが動いていく実感があるが、茫漠とした閉塞感や安定感がむしろ袋小路の底に向かっている可能性もあるのだ。
で、久しぶりに、夜、チャイを飲んでいる。ボクの場合は、あたためた牛乳に茶の葉、できればアッサムのリーフを振って沈むのを待って、塩と砂糖、できればミネラル塩を入れた茶碗に注ぐ。
学生の頃、「Maybe」というお花屋さんでお茶を飲むような感じのお店が下宿の近所にあって、ここのクボタさんが作るチャイはうまかった。少し年上の女性だったが、アラレちゃん風のメガネ(古)にさらっと着流したワンピースが、一種のインテリジェンスを感じさせた。時代はバブルの頃ではあったが、そろそろそういうエスニックなものの萌芽がそこかしこにあって、商売にはならないけれども、おもしろいものを揃えたお店もあった。あるいは、ボディコンのようなものに過剰がもたらす膨満感をもっていたのかもしれない。
目抜きの繁華街の外れにあった中国物産のお店なんかはボクのお気に入りで、カンフーシューズや水仙という中国茶や蛍焼きの茶碗なんかもここで買ったが、反対側には、中東風のストールを並べる店があって、華やかなブランドショップと共存していた。おもしろい時代だったんだな。
久しぶりにそんなことを思い出した。
そうだな、あの頃のクリスマスイブは、デザイナーズブランドのお店も経営するジャズ喫茶のオーナーに誘われて、全身ブランドのみなさんと、年中汚いジーンズを履いたままで夏服を重ねたボクが、ウォッカなんかを飲んでいたのである。この土地では進学校とか言われる学校を出たみなさんだが、みんなナチュラルで、別に気取るわけでもなくそこそこの服を着こなしている様子を見ると、ああ、ボクはボクでいいんだなと感じさせられ、クリスマスの音楽をいつの間にかオーネット・コールマン「ジャズ、来るべきもの」などに替えて泣く女はボブ・マーリーと双璧だななどとつぶやいていた。もっとも、ボブ・マーリーはノー・クライではあるが。
と、チャイにも飽きて、三男が絵付けした瀟洒な茶碗に銀盤を注いで冷やで飲んでいる。
さっき、コンビニでミミガーでも買ってくればよかったなあ。
クリスマス撲滅とか、商業主義のなれの果てとまでは言わないけれど、節操がないなといつも思っている。ハロウィンまで店舗を彩っている。かと思えば、ゆず湯もちゃんと生きていて、ホンコさまではいとこ煮もいただく。ブランドとエスニックが混ざり込んでいたボクと、なあにそう大して違わないのさ。
でも、あの頃、バブルの空気を秘めたパーティ会場から帰って、自宅で電気を入れない炬燵に入って、ヤマハのアンプにテクニクスのプレーヤーでオーラトーンをドライブして聴くアイラーは身に染みたなあ。暖房がないので、中華鍋で少しずつお湯を沸かしていた。
昭和が終わるまで、もう5年ほどの季節だ。