熱と意気と力

タフなゲームだったというには、9回があまりに突出して劇的だった。
先行されて追いつくところまでは日本文理にも十分に目があるように思えたが、じわじわと突き放す中京の底力があからさまになっていく。それでも、高校野球、最後のアウトまで何があるかわからない。海底にはどんな当たり牌が隠れているのか、そんなことはわからないものだ。
9回、堂林を胴上げ投手にしようとする意図が見える。勝ったと思うのは勝ってからでいいのに、勝ったような気分になる。日本文理はよく鍛えられ、最後まで思い切りを捨てない。アウトでゲームセットの中で躊躇なく、果断に打つ。その球が抜ける。同点のランナーを3塁にしょって、結局、最後のボールが真っ直ぐにグラブに収まる。
いいゲームだったが、準優勝を記憶しない。中盤の失点が結局届かない一歩になる。野球の常だ。風上に立つことなく流れてしまった。
それでも、今回の大会はおもしろかった。競り合いも多く、引き締まったゲームが数多かった。地元県チームは、勇気ある戦いを挑みながら甲子園出場券を得て、その戦いを甲子園で出来ないというこれまでにもあまたのチームの経験則に見事に捕われてしまった。全国で最も勝率が低いのだそうだ。勝てると思った方から流れが引きはがされていく、そういうタフなゲームをもっともっと繰り返さなくてはならないのだろう。地方大会でコールドゲームも止めてしまえばいい。27個のアウトを積み重ねる以外にこのゲームを勝敗抜きにしても、終わらせることが出来ない覚悟を多くの選手が知るべきである。
野球とはそういうスポーツなのだ。27個目のアウトとのときにどうしていられるか。そのイマジネーションを欠いたチームはすでに野球チームではなくなってしまうような厳しさを思い知るがよい。
この大会で、ボクの息子たちが高校野球を離れる。長男から三男まで実に7年間もつきあい、考えさせてもらった。そこから得たのはわずかな灯火のような哲学である。しかし、その灯火は、相当に長い間、ボクの心を導くに違いない。熱と意気と力。現役の高校生の頃には思いもしなかったことばが、今は母校の矜持として沁みている。