公務員なのに

新聞の投書欄は面倒くさいと思えることが多く、流し読みもいいところで、株式市況と共にほぼ読み飛ばす。こういうことを本気で書いている人はどんな人だろうと予想しながら、純粋な人もいるものだと感心したり、ここまで世事を自分のことのように心配するなんてよほど裕福か鈍感のどちらかだろうなどと勝手に思い巡らせているが、今朝の投書は公務員の資質を考えさせる意味でもおもしろいものがあった。
投書の趣旨は、少し離れた県外に進学している娘が故郷で投票できないというものなのだ。
県外に娘が進学したが、地元の成人式に出たいし、年金の関係もあって住民票を移していない。たかだか数年のことで住民票を移すまでもない。つまり、実家に住民票があるままで、実際の居住と住民登録の場所が違う。住民票のある場所で選挙権がもうすぐ生じるのだが、県外の、しかもかなり遠く離れた大学へ通学の証拠を示せ、そうでなければ選挙を行うことは出来ない。そう言われて投書人は憤っている。まず、違和感があるのは、住民票を移動していないこと。主たる生活場所に住民票があることは、市民感覚としては義務である。成人式などいくらでも出席できるだろうし、年金で云々といいながら、適正な事務処理で負担が増すことはやむを得ない。むしろ、実態のない住居に住民票が残っていることで年金の何かの負担を逃れるとしたら明らかに脱法行為である。今では入学後住民票の写しを大学に提出させるところも少なくない。また、家を借りるにも同様の措置が必要とされる場合もある。
次に、3ヶ月を経過しないと投票できないのは公正な選挙を行うための措置であり、中学生でも勉強していること。数百キロメートルも離れた学校に通っていることが証明できなければ、その学校に在籍していることか、その住所に住んでいることのいずれかが虚偽である。そういうものに公正な選挙を認められないのは、国民主権の行使たる民主主義的選挙の手続きとして合理的だと考えて良いだろう。組織だった大量移住による選挙を防ぐには、その手続きが歯止めになる。
何よりも違和感のあるのは、この投書が50代の公務員によるものであること。これらのことは実に容易に理解できるのに、もちろん、公務員ならばなおさらであるのに、自分の娘が郷里で選挙できないことの不満を新聞への投書という形で昇華させようという態度である。もっとも、叩いているボクも十分に昇華要素を行使しているが。
この投書によって得られるものは何もない。自らの不適切な判断による不利益を、あたかも公的機関の裁量権の濫用であるかのような告発をして自己の正当性を担保しておきたい気持ちだけは理解してあげよう。それだけのことで主張はまったく合理性と説得力をもっていない。まさか、教員だったりはすまいな。
たまに、出張の帰りなのか、喫茶店や食堂で大声で学校の子どもの話をしている女性の集団を見かけることがある。公務員であるとかないとか以前に、慎むべきこともあるはずだ。大声は職業がら仕方ないと言い放った人も知っているが、大声が教師の専売かとなるとそうではあるまい。伝わる声を適切に用いるべくなのだ。
静謐なることを学べ。
アイザックウォルトンのことばをこうした人々に送りたい。
どうでもいいことでも、書かずにおかないボクもよほどの悪癖だが。