高速道路無料化

日付が変わった今日、高速道路の無料化社会実験が始まった。民主党は、前回の総選挙で、本来そういう約束として始まり、新たな着工の財源にするために繰り延べられたままになってきた高速道路の無料化をマニフェストの目玉に据えていた。政権交代で一気に加速していくかと思えたが、新規着工分の財源がなくなるのという意見はともかく、休日のどこまでも上限1000円によって激しい渋滞が起きたというので、無料になるといよいよ渋滞が加速してCO2の排出量が増えるという反対意見や、クルマを持たない人には何のメリットもないなどという乱暴な意見が出てきて、結局当初の想定よりもかなり小さい範囲で実施された。
案の定だが、交通量は増大した。まず、そうでなければ意味がない。渋滞し、遅滞する一般道からトラフィックを吸い上げて、路線の選択肢を増やすことでトラフィックの分散を図り、スムーズな流通を確保することにねらいがある。都会ならいざ知らず、多くの高速道路は十分に空いている。
また、案の定だが、深刻な渋滞は発生していない。当たり前である、トラフィックが増えるのではなく、一般道を走っていたクルマが高速道路にシフトするだけのことである。大げさなことにはならない。繰り返し渋滞画像を見せられることによって生じた環境論者の意見などに耳を貸す必要はない。データを集めて合理的な判断をするだけのことだ。
クルマを持たない人にメリットがないなどとは全く笑止千万もいいところなのだが、それなりに学習もしてきたはずの人々に、未だにトイレットペーパーを買いに走るような都市伝説めいたいものが興奮気味に語られるのはどうしたものだろう。その傾向は次第に強くなり、安売りや新規開店に乗り遅れまいと長蛇の列をなすのは、少々不気味である。以前は、選挙情勢を有利に書くと、アナウンス効果と言って、振り子のように逆に働くという現象が見られた。しかし、今は違う。ランキング好きの人々は、プライオリティとクオリティをはき違えて、ランキング上位にあるものは多くの人々に指示されたよいものと無批判に考えてしまうことも少なくない。民主党は、事前のアンケート調査のまま圧勝。むしろ、その圧勝を期待すべく、アナウンス効果が後押しするように働いた。サッカーの報道でもそうだ。本田なんかが素晴らしい選手「だった」ことになっている。
繰り返し報道されることで安易に刷り込まれる。これを大衆と呼んでいいのだろうか。大衆の現像を見極める必要があると思い続けたが、大衆が見えなくなり始めている。いくらなんでも単純すぎやしないか。