モノゴイ

無駄遣いは止めてさせたいが、自分の取り分は減らしたくない。お得な話はすべてのっかりたいが、身銭は切りたくない。身勝手と思えるような心情だが、こういうものが支配的である。モノゴイとボクは最近呼んでいるのだけれども、社会的な負担を先送りして、自分に流れ込んでくるものだけを太くしたい。そう考える人は案外少なくないのかも知れない。
じっくり考えてみると、不況だからと言って巨大なアウトレットモールが活況を呈するのはおかしいのだ。景気が悪いのに、例えば、ブランドを少しでも安く手に入れたいと考えるだけゆとりがある。環境のことを考えて、高価で複雑なハイブリッドカーに乗るのは相当に余力がある。生活がすり切れない不況って何だろうとさえ思う。どうにか得をしたい、何とか得をこちらに仕向けたいという意図ばかりではなく、他人ばかりが得をしているのを見たくない、そういう心情さえもはたらいているような気がする。
税制改革への歩みを、今回のことで一旦保留する気配になった。社会負担と社会保障を国民的な議論に発展させ、社会のために少々の痛みをこらえる、小泉政権下ではその痛みによって得られたものが富裕層に吸い上げられてしまったが、激しい痛みにのたうち回る人々への緩和剤になることへの覚悟を、そうした社会を豊かで発展したものと考えられる社会に進むための意志を示すのが、政治、つまり、主権者である私たち自身の役割だと、夜の討論を見ながら感じていた。
議論なき政治こそ危険である。そして、政治を行う主権者に、その議論がないことが最も恐ろしい。