つらかった

昨晩は、原稿関係の打ち合わせで打ち上げの懇親会。東京中央郵便局を設計したモダニズムの吉田鉄郎などの原稿のとりまとめを完了。懇親会で調子よく飲んでいたが、8時過ぎから急激に体調悪化。頭が痛く、目が回る。彼女に迎えに来てもらっていたので、生きて帰れたと思えるほど。
明けて今朝は、川の水質調査の報告会。多くは小学校単位での参加。引率というわけではなく、発表資料などのパソコンの操作。調査のお手伝いをしているので頼まれたわけだ。見知りに会って、いろいろ話をするが体調が戻らない。ロビーで、おばあさんたちの激しいババトークを聞きながらも爆睡。
子どもたちの発表が大きな声で、というよりは、過剰に激しく、ほとんど叫んでいる感じ。世相を反映している。激しい反応をした方が圧倒的に風上に立てる。もっとことばを大切にしろとつぶやきながら、ロビーに逃げ込んだというのが正解。一体、何を大切に教育をしているのだろう。パフォーマンスなんか不要なんだ。芸人でさえトークという基本を大切にしている時代に、ほとんどシュプレヒコール
どっかの学校は万葉集の時代の和歌を朗誦したが、「拾はむ」を「ひらはむ」と無理矢理発音していた。あれ、某所でやっている万葉集朗誦の影響がありそうだ。そんなに無理しなくても。
語尾がやたら伸びる文節切れ切れの発表に辟易した3時間であった。スタッフに間違われて文句を付けられることも数回。何でだろう。
会場を出ると、どっかの大通りに明かりを灯すルミネみたいのをやっていて、ちょうど点灯式だった。環境に優しいLEDなんだそうで、環境を考えたらやめりゃあいいのに。今どきらしい。都合のいいことだけにエコだの地球だの大きいものに責任を重ねて単純に好悪の問題なのに、すり替えて擁護してしまう。ちょっと前のマグロが食べられなくなるなんて、いいじゃないか他のもの食べればと思うのに、食べる権利まで主張し始める。今回の尖閣ビデオでも、公務員のちょっとした法令違反に激しく糾弾の刃を突きつけるくせに、国民の知る権利を持ち出して保安官を義民にしたてるとはもってのほかだ。そのときに国民の権利なんか持ち出さなくても、見たいという好奇心でものを言うなら「よくやった」でいいだろうが、そういうときほど、大きな問題を持ち出してくる傾向がある。
先日の官房長官答弁書を望遠で撮影するなんてのは、全く下品。腹を立てた官房長官に報復のように激しくレンズを向けるのも大人げない。国会は国民の主権という意味での国権の最高機関である。節度や礼儀は、当然の如くその国のかたちとして表現されるものだろう。ラジオではとても聞くに堪えない騒々しい審議の様子など、この国の混迷をはっきりと示している。その点を追究するのがメディアの仕事なんだろうが。ジャーナリズムは一体どこに行った。
と憤慨しつつ、電車に揺られていると、いよいよ体調が思わしくない。
そのまま、帰宅後ピザを食べに行くが、さっぱり体調は回復せず。
明日は、宇奈月でそば打ち。荷物を運ぶのもしんどい。何とかユンケルで乗り切ろう。