スポーツの力

先週のことになるが、いや先々週か、もう。テレビでこの状況でスポーツができることは何かというような議論で、といっても、討論バラエティなので、議論が煮詰まることもないんだが、水泳選手だったスポーツコメンテーターの田中雅美さんがこの震災でスポーツ関係者がいち早く募金活動などの支援に動き出したと話して、それは最も早い反応の一つだったといい、「スポーツの力」だと強調した。
すぐに、スポーツライター玉木正之さんが、それはスポーツ選手という知名度を利用した支援行為であって「スポーツの力」ではないと簡単に切って捨てて、次の話題に移った。
田中雅美さんはとてもきれいな方で、こういう人がアスリート出身者で活躍するのはとてもけっこうなことなのだが、時々、大相撲とかをスポーツなのかどうかみたいな話で突っ込んでこられる。水泳の選手という特殊性がそうさせているのだろう。
水泳選手などは基本的に興行的な展開はない。記録によって知名度が上がっていくわけだが、例えば、阪神タイガースの川藤選手のような、ノアの井上真央選手のような存在は、おそらく成立しない。記録を残すことがアスリートとしての価値であり、多くのアピール的なパフォーマンスの容認はどれだけ早く泳げるか、それも、少々相対的な部分もあるのだが、そこにかかっている。
水泳では八百長などありません、と話していたが、それはそうだろう。どんな八百長が成立するのか。星のやり取りで地位が維持されるような大相撲、負けること自体がその人の地位を必ずしも脅かさないプロレスのようなもの、対戦相手があるために負け続けることでもチームは成立するプロ野球とも違うのだ。
スポーツの力とは、スポーツ選手のパフォーマンスによって何かを動かす力のことでなくてはならない。それゆえ、ユニクロの経営者は募金額をばらすが、イチローは募金はしてもそのことが自身にできる価値ではないと考えているし、石川は賞金をすべて支援金にすると表明することで自らの競技的なパフォーマンスへのモチベーションとしているわけだ。
プロ野球が始まった。なかなかゲームが崩れないという印象が、これまでのところ、ある。1試合1試合捨てないことが、「スポーツの力」につながる。
そういうなかで、金本の記録があっさり途切れた。それも悪くない。目の前にあるものにどう向き合うか、最大限の力を考え、実行することが、力の根源であろう。