世田谷ラジウム

世田谷のホッとスポットは意外な展開を見せたが、一般週刊誌がそこんところの家族がどうだったかという扇情的な見出しを掲げて、明らかに放射能ヒステリーにターゲットを当てている。ヒステリーとは言われているものの、それも奇妙なことで、床下に怪しい物が埋まっていて日日放射線を吐き出していても気づかないのと同様に、今こうしている間もどんな影響があるのかがわからないものがどんどん想定されている一般的な単位と桁外れで降り注いでいるのではないかという不安が暗鬼を生んでいる。世田谷の家族がどうだということが、何ら帰納的な結末を導かないことは自明なのだが、一般大衆紙の見出しと大新聞がそれほど変わらない記事を提供し続けていることも含めて、また、根拠の見えない数字が放射能並みに飛び散っているだけに、扇情的な見出しすら平気で影響力と説得力を持ってしまうという現実の方にめげてしまう。
どんなに親しくても親友のことをバカだという人はいないと、誰が言ったのかはわからないが、復興担当大臣のことばに反応したある党の人の言い方らしい。それこそ、そんなバカなでしかない。言葉狩りというよりもすでに小学生の罵り合いである。今の子はそんなこと言わないだろうが、おまえのかーちゃんでべそ、である。すでに争点はぶれていて、意味のないこきおろしをしている。
正義はどこにあるかは不毛なので問わない。だが、国家の良心たるべき政治と報道がこれだ。国民をして知るべしと、他国には思われている。両者は明らかに大衆を向いて媚びている。褒めて育てよと諭されて、子どもをおだてている親と一緒だ。結局、価値が路頭に迷う。もう、迷っているか。