本ズワイガニって何だ

蟹が人気である。近くの温泉のサイトがリニューアルされて、まるで通販のサイトみたいになった。品がないのだが、けっこう集客に貢献しているらしい。追随するホテルも現れて、何だか残念な状態である。サイトの品格については、どうでもいい。売りのカニが問題なのだ。
世間では、ズワイガニが最も高級とされている、らしい。いや、2度ばかり食べたことがある。なかなかおいしいものだったが、ぼくらは、いとこの嫁ぐらいにあたるベニズワイガニの方がおなじみで、その瑞々しく甘味のある味わいがカニであって、ここらの港ではずいぶんたくさん水揚げがある。カニを鍋に入れるようなもったいない真似をしないのは、おそらくはベニズワイガニの特長の原因があって、ただ茹でて、そのまま身を食べるだけで激しくうまいのである。酢もいらない。茹でて、できるだけ茹でたのに近いものを、ほぼ、鰓以外は食べ尽くす。ざるそばの純粋さに近い味わいである。
地元では、これをあかがんと呼んでブランド化を試みている。しかし、その地元の温泉でズワイガニである。神戸で松坂牛をひき肉で食べるような感じだが、そうしないと遠くのお客さんを呼べないのだそうだ。北陸の冬といえばカニらしい。奇妙な話である。目の前にうまいものがあるのに、わざわざズワイガニをしいれて、したり顏で提供するわけだ。
何年か前もこんな違和感があった。ブリしゃぶである。北陸の寒ブリはちょうど脂が乗る時期ということに加えて、出世魚として知られ、正月の縁起物でもある。定置網にかかったブリは高値で取引され、産地偽装まで起きてしまった。ビールのコマーシャルでブリしゃぶで食べているシーンが流され、県をあげてこれを名物にしようとキャンペーンを張った。ところが、これがちっともうまくない。生臭いだけで、せっかくのいい脂はお湯で抜けてしまうし、生暖かい刺身みたいで生臭さを消すためにタレを使うもので、いよいよブリそのものの味わいから離れてしまう。考えた料理なんてそんなものだ。長い間の暮らしによって定着した食べ方には合理性があるのだ。
ブリは焼くか、ブリ大根のように煮る。カマを煮たのは実に味が深い。刺身は、むしろ、ぶりよりも少し小ぶりな、こっちではチュウモン、一般にはガンドと呼ばれているものが脂ののりが適度で好まれる。でも、一番人気は、フクラギで、ガンドよりもさらに小さく、40センチくらいまでのものだ。脂はすくないものの、赤身の濃い味わいは、マグロより、カツオより、はるかに旨い。あまり知られていないのは、鮮度の低下が早く、それを防ぐようなコストに見合う売価にならないせいだろう。死ぬ前に何か食べたいものと言われるとかなりの人がとれたてのフクラギというんじゃないだろうか。ブリしゃぶなど、観光やら行政やらがコンサルとかいう人たちの適当な思いつきで広げたに違いないのだ。
そうやっているなかで、ズワイガニである。地域の食文化って何だろうとおもう。ベニズワイガニのよさを広げることが仕事であって、金沢や福井からズワイガニを買ってきて安く提供するのがこの温泉のどんな価値を生むというのだろう。これが好評なら、ズワイガニが需給バランスから高騰し、安値競争に陥る。そうなれば、産地でもないので結局は本家の後塵を拝する。同時に、ベニズワイガニの市場は縮小し、海産物としての安定供給が確保できない事態にもなる。何だかたまらない。何をやっているのかと、じりじりする。
糸魚川市は、いわゆる甘エビを地元の人々が食べているように頭付き、卵付きで売り出し、その気高い赤さを地元でそう呼ぶ南蛮エビというブランドにして販促に務めている。次第に、ブランドは認知されつつあるように思える。
魚津市では、フグにさえ匹敵すると思われる冬のカワハギを、寒ブリに似せた寒ハギという名前でブランドの周知に務めている。だがしかし、地元では、コンゴリと呼ぶ。地元の呼び名には文化が含まれる。そこらがセンスの差だろう。
ズワイガニを食べない人たちが、ズワイガニで客を呼ぶ。もっともっと、うまいものはたくさんあるのに。コンサルなんかの言いなりで短期的な思いつきでどーっと変化したのがバブル。取り返しがつかないことをたくさんしてきたのに、まだ、懲りないと見える。