小川温泉元湯

雪が少ない冬で、どうにもあそびにくい。午前中のそば打ちの仕事を終えて、自宅でもたもたする。夕方近くになって、借りていたDVDを返して、そのまま山に向かい、小川温泉元湯に入る。
山といいながら、それほどに海からは離れていない。10キロメートルを少し超えるくらいだろう。じきに雪が増えてきて、小川の谷間に入ると急に雪景色になった。温泉まで行くと、除雪の痕から1メートルくらいの雪だと知れる。
軽トラックやもみじマークの軽四輪の多さは、地元の人々が訪れる様子が見てとれる。立派なホテルと、今でも続いている湯治棟があり、素朴な湯治棟を選ぶ。料金がこちらの方が安い。他にも源泉がそのまま注ぐ半洞窟の露天風呂があるものの、積雪期がとても入れない。
どこまで意味があるのかわからない時代ものの自動販売機でチケットを買う。カウンターに従業員がおらず、そのまま置いて浴室へ行く。湯治客のための食堂は、一般にも開放されている。お昼をまたいで楽しむのもよいかもしれない。
小川温泉は、江戸時代の越中四湯に数えられ、諸国番付でも名前が挙がったものがある。以前、十日町の松之山温泉で見た番付では前頭の上位にいてそれほどに知られたものかと驚いた記憶が残る。泉鏡花の怪異譚「湯女の魂」の舞台でもあり、妖艶な描写を思い起こさせる何かそういうものが土地の霊性に秘められているようにも感じられる。古くから子宝の湯として知られ、観音様、薬師様が祀られ、薬師堂には子を授かったお礼の人形が積み上げられ、つげ義春の情景にでも出てきそうで、小さい頃は少し怖かった。
地元のものは、ここを「温泉」とだけ呼び、お湯を引いて作られた海岸沿いの温泉を「町の温泉」とも呼んでいた。*1
脱衣所から大きな声が聞こえる。地元の人たちの会話だ。この土地の人々は声が大きい。どこか、文句の色合いを伴った怒号にさえ聞こえる。そのため、言葉がわからない人たちからは喧嘩をしているようだとも評される。今ある自分を肯定的に話すのではなく、どこか謙虚にそらしながら、ゆえなきこと、割に合わないこと、切ないこと、どうにもならないことなどを独特の調子で口説くのだ。それは、ブルースでもある。この日は、養護介護施設の話題が広がっていた。
浴室もそう広くはない。10人は入れないだろう。そこに、とうめいであまり香りの立たないお湯が溢れている。以前は、もう少し硫黄くささもあったような記憶がある。勝手な思い違いかも知れない。泉質はすこぶる付きである。よく温まる。その温まり方も体に浸透するような感じがある。
溢れるお湯はまずかなり熱く感じる。かけ湯をしてしばらく、足だけ漬けておく。これで相当に温かい。馴染んでくると、湯温がほとんど気にならなくなる。最初のぴりっとした感触が嘘のようなのだ。ここのお湯に浸かると熱すぎるので掛け湯だけで入っているという人もあるくらいだ。
地元の人のネイティブブルースを味わいながら肩までゆっくり浸かる。先日から肩の調子が悪い。痺れがみるみる抜けて行く。痛風にもよく効くという。そちらの方も調子がいい。一旦、湯から上がって、少し逆上せを落ち着け、湯口近くに入り直す。岩を積み上げた湯口からそのまま流れているお湯はフッ素が含まれるので制限はあるものの、コップ2、3杯は問題ない。胃腸にもよいとされている。口当たりがよく、上等のミネラルウォーターを飲むような感じがする。
そうやって30分ほど繰り返すと、汗をかく方ではない僕でもじっとりと汗がにじむ。脱衣所では汗をふかなくてはならないほどになる。上がると、妻が先に出ていた。小さな休憩所は暖房もないのにそれが苦にならない。お相撲を見ながら土地の人々がくつろいでいた。汗が落ち着いて、外に出る。まだ、日が残っている。山のてっぺんが明るく輝き、間もなく、谷にも夜がやってくる。

*1:町湯、小川温泉天望閣は廃業