紅白歌合戦

大事にしたいとか、年中行事などとサザエさんの時代を引きずったような感傷は、特に、ない。だけど、今回も何となくつまみ食いのように見ている。むろん、格闘技と入れ替えながらだ。
格闘技を先に書いておこう。まず、PRIDEは前振りが長すぎる。おまけに、小池栄子の身びいきは、藤原紀香以上で、辟易した。戦いを見たいので、コメントは想像力によるリアリティの増幅を目的とする以外に簡単に用いるべきではない。ただ、内容はよかった。ヒョードルノゲイラもよかったし、滝本も悪くない。吉田は、ガードナーがレスラーとしてのプライドを捨てたところで、おもしろくはあったが、凡戦である。何も創造しなかった。曙は気の毒だが、これでおしまいにした方がいい。何をもって戦いとするのか、そこらが自明ではないし、こちらも戦いの姿を描けない。残念だが、ここまでだろう。
異種格闘技の場合には、どちらも頑固にそのスタイルを貫いた方がおもしろい。プロレスのようにキャラクターが立っているのものは、まさしくそうした部分での戦いで、観戦者にも共感できる戦い方のデザインが見えてくる。それを捨てて、相撲取りが寝技に執着するようなものは、格闘ゲームにさえ、ない。
さて、格闘技は、その程度でいいだろう。今回で、あまり格闘技を見たことのない人に提供できるコンテンツが薄いことが露呈した。高田のふんどしなど、もう見なくていい。
さて、紅白である。
今回、演出が総じて地味である。意外なゲストも少ない。大量に人があふれるような最近の紅白から装いを変えている。例の事件と、災害にでも配慮したのか。その分、曲の良し悪し、歌の巧拙などが見えてきたが、NHKのフレームワークが悪くて、ミュージックフェア程度の画像しか作れなかったのは残念。演出に力の入るNHKがそうしたものを省いてしまうと、リズムの悪いスイッチしか残らないらしい。
個人的には、ドリカム、中島美嘉大塚愛が気に入った。
ドリカムは相変わらずである。吉田美和の一声で会場の空気が変わる。中島は、葉加瀬太郎が渾身の演奏。ベストではないが、中島はよくがんばった。いい楽曲を丁寧に、懸命に仕上げていた。大塚愛は、最近、最も光っている。「さくらんぼ」なんかを自分で作って歌っているのがすごい。アイドル然としながら、アイドル化していく自分さえ楽しんでいる。
しかし、全体的に、何を目指しているのかが見えてこない。例えば、「癒し」とか、「愛」とかあるはずだ。それすら打ち出せないまま、もう色褪せたアテネのメダリストに下手くそなコメントを並べさせて、それで「栄光への架け橋」である。もう半年前の出来事だ。そのうえ、ボクらはまだアテネを評価し切れていない。演出であれば、マツケンアニマル浜口を出演させることもおもしろかったはずだが、視聴者の義憤に抗しきれない思いがどこまでもどこまでも深く残っているように感じる。それで、これほどまでの学校の発表会風に展開したか。
ついでに書いておこう。アテネで最も視聴率を稼いだ富田の鉄棒の際の「栄光への架け橋だー」の実況だが、生で再現するのは苦笑ものでしかないが、あんな決め打ちのことばに感動するような国民性が存在すること自体に、ことばの衰退を感じている。あれは、いわば、駄洒落でしょう。ああしゃべろうと思って、その瞬間に吐き出している。いわゆる、「前畑がんばれ」は思わず吐き出されたことばである。ことばは創造することに価値がある。古舘が優れているのは、貯め込み工夫されたことばがその瞬間の空間を描くように生成していく瞬間の巧みさにある。ピットロードを駆け抜けるアイルトン・セナに「白昼の流れ星」と叫んだことばは他に使い道のないものであった。
その意味で言えば、白馬のジャンプ台で叫ばれた「立て、立て、立ってくれ」のことばは、おそらく歴史を越えた名実況であったとボクは思っている。生まれてきたのだ。見ているものの思いすら乗せて。同時に、原田の抱えてきた物語をみんなが共感できた瞬間でもあった。
こうして、昨日の紅白歌合戦を振り返ると、ボクらが期待しているものは、決して歌唱ではないらしいことが見えてくる。演出を見てきたのか。そんなことに気付かされた番組として、長く記憶しなくてはならない。それは、テレビが無意識に流れてしまっている多くのベクトルをふりかえらせるきっかけになればいい。今、天皇杯のサッカーを見ている。スポーツのリアリティは、いわば、そうしたものへのアンチテーゼであるが、野球中継などは、演出で見せることがテレビの力だと勘違いしているなどとは、ここでしばしば語ってきたことだった。
何が真実かを見通す力、などというが、何が真実かを考える前に、ボクらの掌からすり抜けているのかもしれない。