白馬山荘

今年、白馬山荘は100周年になる。白馬山頂直下の測量用の石室の権利を松沢貞逸が買い取ったのが始まりで、それが明治38年。松沢貞逸は16才だったそうだ。当時は、わき水もあったという。現在のように、富山と長野をまたぐのは、小屋の拡張に許可を出さない長野に対して、富山側の許可をとって広げたのだそうだ。その許可に、会津伊東正義が絡んでいたそうだ。
ウェストンが開いたとされる近代登山に少し疑問を投げかけ、それ以前のそま人たちが普通に山に立ち入っていた姿を浮かび上がらせる。
山はもっと人々の日常に寄り添っていたらしい。

北アルプス この百年

北アルプス この百年

小杉復堂の名も見られるが、吉沢庄作という魚津中学校教諭が立山を「越中アルプス」と命名して、一挙に登山熱を高めた話などは初めて聞いた。
そもそもアルプスという奇妙な名称で括られているのが、いわば、ウェストン症候群なのかもしれない。
小川弥一が、戦前に作ったダイナミック山岳会も、子どもたちの学校登山の支援をしていたという。
大正8年の富山女子、富山女子師範の立山登山について、どこかで縁のある話を聞いた気もするが、忘れてしまった。
毎日繰り返しているが、こういうのをちゃんと伝えないといけない。