女王の教室

スポンサーがクレジットを出さなかったそうで。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050815-00000012-ykf-ent
この番組に関しては、プロデューサーが教育たら何たら言っていたけど、そもそも学級単独でああいうふうにできるわけもなく、まあ、SFの類だと思えばいいのに、また何か奇妙なクレームやらがテレビ局に届いたりするわけで。
昼にやっているソープオペラでも学校を舞台にしていて「物理や数学なんて結局何の役にも立たない」と教師に言わせている。直接役に立つものだけが人を支えるなんてことはないんだぞ。
ちょうど、そんなことを母が話していた。よく言われるレトリックで「勉強ができた人は教え方が下手」というもの。実は、よくわかっている人は教え方がうまい。それは当たり前のことで、わかることをよく知っているから、分かるプロセスを開示しながら教示できるわけだ。勉強ができた人というのは、答えを見つけやすい人で、それはクイズ王と同じことで、微生物とウイルスの違いをその大きさですぐに答えることができるだけで、質的な違いについて的確に言えなかったりする。「わかる」こと同様、「教える」ことや「教師である」ことは、実は思うほど単純ではない。
女王の教室にしても、君臨する教師に対して何らかの信任がなければ成立しないことでもあり、現在、「教師」というだけの権威など通用しないことは多くの人が知っているにもかかわらず、ああした表現がまかり通っている背景には何があるのだろうかと、少し考え込んでいる。
ああしたものが何かの批評の対象になるとすれば、ボクはいくぶん思考しなくてはなるまい。