呉智英

教養という武器を巧みに操る人がボクのイメージだが、この人の物言いは好きである。知らないことを知っているようないい加減なことばを一方的に指弾する。むしろ、手合わせできるくらいの力を持っているなら大したものだ。多くの場合、しゃべりだした瞬間に斬られるであろう。そんな緊張感を抱きながら、緊張に寄り添った諧謔に喜ばせてもらっている。
この本も悪くはない。しかし、まとまりに欠いている。どうしたものかと思ったら、いろんなところに書いたものをまとめたらしい。
知識を詰め込みが悪いと言っても知識が悪いわけではないのに、坊主と袈裟の論法のように、悪態をつきながらも純粋な精神を持ち合わせている不良学生を称揚するテレビ番組を昨日見ていたものだから、奇妙に得心する部分もあった。
「大衆」についての議論は、いささか懐かしいと思ったら、1984年の初版時の書き下ろしであった。

大衆食堂の人々 (双葉文庫)

大衆食堂の人々 (双葉文庫)

仕事柄「学校的な」教育文章をよく読むのだが、曖昧で繊細な学校教育の輪郭を描くにはいささか筆が合っていないと思わせることばの数々を思い出した。