泥湯温泉ガス中毒死

気の毒に家族全員が亡くなられた。ガスは見えないので、本当に恐ろしい。
聞いたことがある温泉だったので、もしやと思い、本を広げるとやはりそうだ。「つげ義春の温泉」にでてくる。

つげ義春の温泉

つげ義春の温泉

写真とエッセイの部分でも書かれている。
エッセイはこんな感じだ。「黒湯・泥湯」と題し、未発表原稿とある。あとがきによれば、雑誌「ポエム」の連載で絵を描くだけだったのに文が残っていたという。メモではないかとつげは書いている。
昭和51年のこの旅では、まず、黒湯に向かう。俗化されていない場所がお気に入りのつげとしてはすっかり有名になったので粗末さが失われていてがっかりしている様子。
近頃温泉案内書は、宿屋がホテルのように立派に建て替わると”都会人向き”と推奨するが、おかしいと思う。都会人こそ黒湯のような鄙びた味を好むのではないだろうか。
とあり、共感。リゾートだか何だか知らないが、大理石か何かを並べて高級調度で飾った宿に何を求めるのだろう。田舎の人が都会から来た人にその土地で最も価値の高いものを食わせることはままある。いつだったか、岐阜の山奥の村で朝から魚がでた。海沿いのボクらでも朝から魚のみそ汁は珍しい。その土地では魚は貴重品だ。精一杯の歓待であったが、魚は決して旨くはなかった。
さて、泥湯だが、黒湯から同宿の学校の教師らが話題にしていた泥湯に向かうのは翌日。湯沢から2時間の行程。前日より胃の痛みに悩まされていたつげは消化薬ですっかり気分がよくなる。
泥湯はかなり山奥の、小さな盆地の底に十数戸の家がひとかたまりになっていて、付近で硫黄が採掘されているせいか、山肌が露出し荒涼としている。
硫化水素の影響か、ライターや硬貨が黒く変色したりもしているが、どうやらつげお気に入りの温泉だったらしい。温泉の泥を手で捏ねた饅頭型の湯ノ華はボクも欲しくなった。
亡くなった家族は3泊するとかいう話だったので、ことによると、この本も知っておられたかも知れないな。ご冥福を祈ります。合掌。