組合の団結集会

ボクらの職員組合では専従執行委員を選んで仕事をしてもらっている。今年も2年サイクルの専従選挙の年になった。訳あって6年間組合籍を離れていたので、しばらくこうした動きから遠い場所にいたが、以前はかなり深くかかわっていて、この関係で都合100回は会合をしただろうか。
以前の組合は対決色があって、組合内部の選挙でも完全に制圧している感じの主流派に対して、反主流派の論理的攻撃がすごくて、それなりに論戦風で、次の時代の職場、その職場が生み出す社会をどうするのかについてなかなかおもしろい議論があったものだが、今回の決意表明は、カラオケであった。ことばが踊らない。何をしたいのか見えない。理念も、策も、立候補前に持つのは無理だろうとは思うが、せめて作ってきて欲しかった。
委員長候補のことばも踊らない。彼とは何回か話をしたが、持っている空気は、ある。そうした空気は誰もがもてるものでないので、その意味ではタレントを有しているのだろう。しかし、戦えない。彼が戦ったと思っているのは、枝の剪定に過ぎぬ。こっちの枝でも、そっちの枝でも実は幹にとってはたいした影響がない。実現してきた成果とやらも正直なところもともと組織がいわば政策的に決定してきたことの追認に過ぎぬ。まあ、組合の活動あればこそで、それを理由にして予算を取ってきたとも言えないこともない。しかし、その程度の評価で、政策提言があって、それについての論議を抜けて勝ち取ったようには思えぬ。彼に限らず戦わない戦いを是としたかのような歌声であった。彼は土方ではなく、近藤だろう。よき土方、あるいは、山南を得ねばならぬ。
少し気になったことが、2つある。
委員長候補は休職専従を7年やることになる。彼の出身地区組合は、これで数回の専従選出を回避してきた。次回の選挙では、一挙に2名の専従候補を擁立する必要が出てきた。耐えられるのか。7年間の空白は大きい。
もう一つは今日の集会は、主流派が主催したものであって、支部の正式な大会ではない。にもかかわらず、出席が取られ、動員が公然と行われている。幸い反主流はからの反発がないようだからいいものの、全員参加に近い形の呼びかけはともかく、拘束をかけ、ふるい分けするような名簿式に受付のやり方には非常に困惑した。これって選挙だろうが。費用は、主流派のカンパで賄われているはずであり、そのカンパも任意。出席も任意に決まっている。ところが、組合の連絡文書に近いものがこの会場で代議員あてに配布されている。これは公然とした支部の活動ということになる。ボクが反主流派ならこの点を突く。選挙の自由競争に関する権限を支部を私して侵害するものがある、と。
でも、そうした義憤も、親睦会のような集会のムードで萎んでいった。
戦わなくてもいいから、せめて、争ってみてよ。滾るものの足りない組合を親方はどう見ているのだろう。