日本代表発表

ジーコジャパンにはもう何にも期待していないが、とりあえず柳沢が入ったので、これなら見るかも知れない。
数日前の朝日新聞のサッカー用語の解説記事で興味深い表現があった。
以前は、「10」プレーヤーは「司令塔」と呼ばれトップ下でゲームコントロールをしていた。そればかりかチャンスと見るや自ら前線に張り出してゴールも奪う。ジーコはそうだったし、プラティニもそうだった。スターと呼ぶにふさわしい品格と技術があった。しかし、今やシステマティックなサッカーは当たり前で、ポジションごとのタクティクスに合わせて技能が展開されるようになっている。1対1で相対する局面はむしろ危機的で、多くの攻撃は戦術に絡め取られていくようになって、ゲームのキーマンはむしろ攻守の切り替え場所にあるボランチに移行しつつある。「司令塔ということばには哀愁が漂う」朝日新聞はそう書いた。司令塔はたそがれているのだ。
中村俊輔を見ているとそんな気がしてくる。素晴らしいテクニックで包囲網を突破しゴールマウスに蹴り込む。奇跡的なフリーキック。魔術的なスルーパスにセンタリング。そうした一つ一つの所作がスタープレーヤーの大時代なサッカーに思えて仕方がない。華麗なテクニックを披露している間に相手の陣形が整ってしまう。もう今のシステムを打破するには、よほど超人的な技術が必要なのだが、そんなものを発揮する機会などあろうはずもない。その奇跡を起こさせないのが現代サッカーだ。飛び道具というおもしろさだけで彼を代表のスターと呼ぶなら、清原が一年中ぶん回しているだけでもっと認められるはず。
キリンカップですっかり萎えたなあ。