学校とプール

ある議員が再出馬を表明。そのこと自体は大歓迎。自ら定数削減を提言した人だけに、ここで出馬しないでは面目がない。その先の信託は不明だが、その態度には感服する。
あるペーパーをもらって、議員在職中一番感激したのはある学校のプール建設だとあった。市民運動的な盛り上がりが出た大変興味深い出来事であったし、なぜか学校職員までが当局と対峙したような不思議な雰囲気をもった運動でもあった。これをきっかけに、町の社会体育施設としてのプールがなくなり、小学校の近くに学校のプールが建設された。
しかし、こういうことを思い出してみると、学校にプールがいるのかどうかの議論を深めることもなく、ある党派の議員の言う「学校にプールがあるのは当たり前」という乱暴な意見に首肯して状況が推移してしまったo思いが残っている。当時、ある立場から議論にも運動にも参加できなかったし、そのときの経緯を書く資格を有していない。第3者的に振り返ると、そこで看過してしまった「プールは必要か」という議論は、今後の政策に大きく結び付いているように思えてならない。
当時、その学校は、隣接する町営プールを利用していた。このプールは、50メートルの水路をもつ立派なもので、昭和40年か、41年にできている。いや、昭和39年かもしれない。まあ、それはいい。町営のプールだから管理は社会体育主管課が行っており、学校はそう遠くもないので3分ほど歩いて通っていた。
こうしたやり方の長所は、職員配置を含めた管理運用を学校で行う必要がなく、同時に、子どもを含めた一般町民への体育施設の供用が可能である。実際、放課後でも子どもたちはプールへ泳ぎに行っていたし、親子連れでいっしょに水泳する、あるいは、水遊びすることも可能であった。専任の管理者が置かれているので、その点でも教師の副業的な運用から見れば、管理上もしっかりしていたと思われる。
しかし、学校から少し離れていたり、学校の事情で簡単に運用上でわがままがきかない。プールでの苦情を学校が受け付けるなどと、愉快ではないこともあったかもしれない。少し大きくなる道路を渡ることで、リスクが拡大するという感覚もあったのだろう。
そこで、PTAなどが声を上げ、土地区画整理のためプールの移転改築を余儀なくされた機会に乗じて学校の新プールを建設した。社会体育の一般用プールは、数年前に設置された屋内温水プールがあるため、それで利用者の権益は保障できると考えられた。
続いて、校区にその社会体育施設があることでプールが設置されていなかった学校にも、「プールがないのはこの学校だけ」といった議論もあって、プールが設置された。当たり前だという。
では、どういう当たり前なのか。そこが議論されなかった。
実際、学校のプールが学校教育下で体育の授業に使えるのはわずか3週間である。その間、体育の時間があっても約10時間。雨でも降れば、あるいは、気温でも低ければ入れない。今年のような天候では、どれほど泳げるものなのか。
学校教育と社会教育の連携、融合と言われるが、一番わかりやすい形で表現できているのは社会体育である。学校施設の夜間開放、社会体育施設の部活動での利用と相互の乗り入れは建設、運用予算の乗り入れの点からも活発で、この町は特にそうしたものがよく整備されているところである。中学校は社会教育施設に隣接し、部活動での活動場所の豊富さは他の追随を許さない。ここにプールが含まれてこないのが不思議である。町にはこうした教育の用途に運行できるバスも、隣接する市町村と比類なくたくさんある。それと学校の計画をうまく組み合わせれば、ほかにはない教育活動を展開する方法もあったかもしれない。
1年のある期間水泳ができることと、年間を通して水泳を楽しむことに、生涯学習という価値を考えたときに、どちらに長期的な教育効果を生むのだろう。そこらの議論が欠けていたように思えるのだ。それでも安全教育の観点からプールは必要だというのなら、それも見識だろうが、「プールがあるのは当たり前」とした某党派の議員のことばは忘れられない。ゆえに、政権政党にはなれないのか、そこまで思った。
何かに追いつくような整備の仕方は、一方で心情的に理解できる。だが、本来は政策によった、施策によった、その背景にある民意をもとにした理念形成による意志が必要なのだ。その意志は、残念ながら、「プールが欲しい」という強い声と盛り上がった運動にかき消されるように、ボクの場所からは見えなかった。独自の特徴ある教育運営が求められているという声がある一方、こうして「当たり前」という思い込みに近い状態で、もっと適切な手があったはずの施策が後手に回ってしまうことがどうにも歯痒い。今取った手は、在学の子どもたちの関係者に留まらず、まだ、生まれていない子どもの環境を束縛するような視点、そこまでの視野をもった議論がなかったものか。
今度は、学校の荒れたグラウンドだそうである。表土が剥がれて、埃が舞い上がっているそうであるが、そうは見えないほど、草深いグラウンドが毎日目に入ってくる。何とかならないのか。ご近所のみなさんで草取りしてもいいのだ。それが、学校を支える地域の力になる。