山本周五郎

改めて何作かを読んでみると、山本周五郎の巨人がよくわかる。「雨上がる」で感じる人間くささにまったく文字から浮かび上がる情を映像化しただけだったかと、映画はまさしくその作業を丹念に積み上げるだけということだったかと思い知らされる。
実は知らないのだけど、藤沢周平の「周」はきっと山本周五郎の「周」だろうということにしている。
今回読んだのは、「夜明けの辻」。短編集である。佳作が多い。
なかでも気に入ったのは、「葦」である。後年、改作され、別の作品として吟醸整理されたと聞くが、これもよいものだ。

夜明けの辻 (新潮文庫)

夜明けの辻 (新潮文庫)

わけありと思える美しい、だが、不道徳な匂いをもつ女性が入水する静かな光景で始まる。話は過去に立ち戻って、ある武家が女と快楽を貪り、耽溺する禽獣並みのくらしに零落する。しかし、武家はたしなめられ、立ち直り、やがて、国家老を狙おうかという立場にまで上る。その野心を悟られないために気取った釣りで女が入水した場所に到る。そこで、遺書とも思える書き付けを見るが、瞬間、かかった魚に気を奪われる。

彼はしばらく棒立になっていた。それから苦笑しながら、汗を吹いた。釣る気もない竿へそんなおお物のかかったこと、まるで子供のように自分が昂奮したこと、どちらも思いがけなく可笑しかった。

もう一度、その遺書らしき書き付けに目を戻したときに、紙は水面を漂っていた。が、頓着はしない。「このよろこびのうちに身をはててこそ、恋のすえとぐるみちと存じそろ」ということばを印象に残しながらも、釣りを気取って家老就任の算段に戻る。かつて、すべてを捨てて燃えた女の情念さえ、打算の前に衰える。家宝の古鏡を持ち出した女が水底に眠らせたものはそれで永遠のものとして朽ちることなく、留め置かれるのか。