鬼平犯科帳・19

「盗賊改方長谷川平蔵である。」
このことばは、おそらく、かの脳天気な権威であるご隠居の印籠よりも強く、たくましく、響く。ドラマは好きなのだが、本を読むのは、全く、初めてであったことに気付い
た。気付いて、ドラマの作りが実によくできていることを感心する。どうも、こういうものを避けてきた自分を悔いている。
登場人物の像をしっかりと浮かび上がらせてくると、風景が急激に生き生きとしてくる。この物語が、人の情で成り立っているからだ。きれいごとではなく、業の深いものとして、悪くも善くもあり、また、その善悪はことのなりゆきでいかようにも移ろう。そこが、物語の魅力と見た。

自分で勝手に間男をし、藤田とむすめを捨てて逃げたくせに、今度は舞いもどるや否や、後妻を迎えていた藤田をそそのかして出奔する。どうも嫌な女だ。「雪の果て」

と同心である藤田に言わせながら、同じ藤田に、

たとえ、嫌だ嫌だとおもっている男から手ごめにあったとしても、あのおんなは、われ知らず「雪の果て」

官能のこえをあげるとの印象を描かせている。人はそうしたものだ。本性を隠すとはいうが、本性などどこに定まるところがあるだろう。そのときそのときに何かに流され、また、抗うこともありながら、どこかに行き着いてしまう。それは善悪を超えた場所にあって、平蔵の情けは過酷にその情けを裏切るものに憤るのである。

新装版 鬼平犯科帳 (19) (文春文庫)

新装版 鬼平犯科帳 (19) (文春文庫)