「川の吐息、海のためいき」への嘆息

川の吐息、海のため息―ルポ黒部川ダム排砂

川の吐息、海のため息―ルポ黒部川ダム排砂

ちょっと書き足りていないので、もう1回書く。
このルポルタージュ、特に、この問題をめぐる裁判などで出てきた事柄をよく整理して、今後のテキストになっていく可能性については前日も書いていた。
不足している点をもういくつか挙げておきたい。
海岸浸食とダムの関連については、時間の推移を実感できるほどのイマジネーションが筆者にはなかったと見える。しかし、この問題とて原因がダムの建設にあったかどうかをはっきりと論証させるだけの根拠は不足しているようにも思える。ところが、奇しくも、排砂の流れる範囲を調査結果から想定してみると、黒部川の土砂は東に向かってよく流れ、堆積することが、この本のなかでもわかってきた。それが、海岸線の後退に影響しているのかどうか、そこらは残念ながらボクもよく知らないし、知りたい。
イワナについては、1箇所だけ出てくる。ほかはアユだ。黒部川イワナは日本最高所のイワナであり、実際、黒部川の天然イワナを稀に釣り上げると(それも、ボクは1995年が最後)、その特徴的な姿に魅了される。筆者がしばしば地元の無関心を嘆いているが、黒部川イワナやヤマメが放流された魚で覆い尽くされ、それでなくては支えきれなくなった段階で、人々は川に見切りを付けた。この川は人の営為に翻弄されるものになった。沿線の学校は、川遊びを禁止し、年に1度の「ニジマス」つかみにスーパー袋を持参して目の色を変えて夕餉の食材を握る人々の心象からは、川は忌避される場所として、ハレの場所に置かれている。ダムに売り飛ばしたときに、その運命は決していたのだ。今更、何を。多くの人々がそうした感想を持っている。ゆえに、あのまがまがしい柳河原発電所をヨーロッパの古城のようで美しいと称える人々さえ少なくない。
ある時期、地元の町づくり委員会に出席していたのだが、その委員会の席上、黒部川という資源にこだわるボクに、当時の町会議員が「川の自然で食っていけるわけではない」と<自然>を否定した。多くの人々が黒部川を糧として暮らしているのに、そうした人々の世界の風景からは、<川>と<自然>はすでにこの段階で乖離していたのだ。
もうひとつ。富山県ではカドミウム汚染がある。カドミウム汚染された田んぼが現在では種籾を中心に米作りを行っていることはよく知られているが、長い年月にわたって神通川を流れ下ったカドミウム汚染を引き起こす物質が富山湾でどうなったのかについて、あれから40年を経た今、語るための資料すらない。「富山湾の魚は安全です」と書かれたポスターが魚屋の店頭に張られていた記憶は、水俣湾の安全宣言時や諫早湾干拓事業のニュースの折りに思い出すだけだった。人は疎いのだ。
この本が出ても、世論は沸かない。泊漁協が果たした大きな役割をボクですらはっきりと認識していなかった。昭和30年代のいつか、川は見切られていたのだ。それを取り戻す営みの一つとして教育は欠かせない。ときに、総合的な学習の時間が導入され、各地で環境教育も盛んに行われている。そのとき、排砂の光景が忌まわしいものとして子どもたちに知られることで、20年後の風景は変わる。それが、未来だ。