学校の宿泊学習

来年度の計画を立てたいからと相談を受けた。去年も今年も実施にかかわった。事前に話をしてもらえれば全体のプロデュースもしてあげるのに、いつも動き始めてから相談されて子どもたちの活動に対する流れを作りきれない。利用する施設の人はみんなよく知っているのに、「なんであんたがついていてこんなことさせているの」ってことになり、苦笑。内情もべらべらしゃべるわけにはいかず、ま、こんなものとことばを濁している。
それで来年はどうするかってことで、まず、1泊削りたいそうである。2泊3日を、1泊2日に短縮。それでどうするのかと思ったら、要するに日程をクリアするのに四苦八苦しているので、もっと単純にしたいとのことだそうだ。
もともと、ここんちの計画は気に入らない。何しろ、大雑把で何をねらっているのか見えない。入れ替わり立ち替わり先生が前に立っていろいろそれぞれに指示をされる、もう、ボクが一番嫌いなやり方で、その挙げ句、急げ、速く、何をしているんだとの怒号が飛びまくり、夜は夜で見回りに熱心で、出歩く子どもを叱りつける先生の声で目が覚めるくらいだ。バイキングの食事で仁王立ちになって、全部取れと睨んでいる。そもそも、選択して調整できるように和洋を混ぜているのだ。全部取れば食傷してしまう。考え方が違うんだ。
それでもいくつかの前進ができないかと、いろいろ試している。アクションは子どもの感覚に直接響くらしく、出会いから同じ宿泊学習の時間を経過すると子どもとの距離感がずいぶん変わってくる。今年は、ようやく移動テントで、しかも、その施設のエリアではなかなか深い場所にテントを立てた。それはもう闇の深さと来たら何とも言えない奥行きがあって、獣の気配も濃く、木々の隙間に見える星はそのまま宇宙に窓が開いているようにさえ感じた。いろいろな音が飛び交う。その濃い夜は、今年の野遊びのなかでも最も印象に残ったうちのひとつだ。
しかし、まず、これを「移動テントにしたために、テントを作って片づけていただけ」と言い切られた。それはないよ。テントを作るのも撤収するのもおもしろい。そのように仕組んだし、大体、先生、あんたは全くそれにさわろうとしなかったじゃないか。今夜、どこに寝ようか。そんな思いすらなく、過ぎていく時間をイライラと過ごしていただけだろう。100人が暮らしたテントサイトにいっしょに寝ていた指導者は、こんなこと書いちゃいけないけど、ボク一人だ。みんな少し離れた避難棟で「反省会」してただろう。サイトキーパーはボクだった。ボク一人だったし、子どもと同じ深い体験をして清冽でしっとりとした少し重い感じさえする濃密な朝をあの森で迎えたのは、ボクと子どもたちだけだ。さっぱりした顔で森の向こうからやってきた人たちにそんな言いかたされるほど、子どもたちは無為に過ごしてはいないよ。あなたがただけが追体験できていないのだ。
そういや、「キャンプは嫌い」と子どもの前で言っていた人があったっけ。じゃあ、止めろよ。
ボクはことばをもたない。もう、いいやとあきらめかけたが、あの朝の子どもたちの姿、テントを片づけるときに、何かの感情のかけらを片づけてしまうように切ない顔をしていた子どもたちの表情を思い出すと、ぷいと棄ててしまう気にはなれない。
先生方は、結局、安価なアミューズメントを求めているらしい。