小学校でそば打ち

小学校の先生方の研修会に招かれてそば打ち指導。そばをめぐる教材観についてどうこうしようという意図もあったが、とにかく、ボクらの方法で作ってもらった。ベースの、ベースにあたる方法で、ほかにもいろいろに発展すればいいと思うが、そばがつながり、麺になっていく過程をしっかりと見つめて、ここさえ外さなければと感じて、その後は自分で工夫したり、試してみたりしていただけるものになっていると思う。
今日は、ぶっかけ、越前そばで食べていただいた。ざるよりも、何となく、このやり方に合っているように思えて、最近、こういう形でやっている。
先生たちは器用だな。いいそばになっていた。ちゃんと仕組みと手順をふまえるとそばに「なる」のである。多くのそば打ち体験がどうしてああいう職人技の尊さを知る(つまり、思うほどうまくいかない)ことに価値を置くのかが不明。
もっとも、道具がいい悪いの話になると、もうどうでもいいや。ボクらは、お店を構えたいわけでも、名人になりたいわけでもない。自分で打ったうまいそばを食べたいだけだ。コマーシャルフライのようなものは作らない。釣れるフライよりも、使いたいフライである。それだけのこと。そばも、釣りも、同じスタイル。