ウィニー訴訟その後

新聞を読むと、どうやら、例えば

となると、インターネットの仕組みを作った人もえらい犯罪を幇助していると思うんだけどな。人を殺害可能な道具を作って、これで人を刺したら死ぬだろうなあと思っていたけど、それを防止する措置をしなかったので殺人幇助ってことにもなりかねない。

と、懸念していたようなことではないらしい。
著作権に反する活動に使えることは予見されていて、それゆえ、匿名のサイトなどで配付したのだろうと、そこに悪意を読まれているようである。
たとえるのは難しいが、アインシュタインが核理論を堂々と発表したら罪には問えないけど、どうも大量殺人兵器が作れるんじゃないかと考えて、どこかでこそこそと遠慮がちに発表したら、ほら、後ろめたいのだろうがと指さされるような感覚か。
ウィニーは道具である。道具をどう扱うかに悪意は憑依するのであって、道具そのものには意志はないと思う。「ワン☆ピース」でも、銃が悪魔の実を食べたことについてウソップが同様のつっこみをしているじゃないか。
ウィニーが偶々そんな悪事に転用できたからと断罪されるなら、確かに科学の多くは躊躇する。ゆえに、科学には倫理という抑止力を常に携帯させているではないか。持ってない人も多いけど。あ、そうか、科学と技術の面でちゃんとことばを使い分ける必要があるな。技術は基本的には倫理とは無関係の領域にあると考えてもいいと思っている。モラルとルールのように、使い分けの力が必要だな。