差別的魚

別に魚に問題があるわけではないのだが、差別用語を用いてその様子を示した標準和名をもつ魚の名前を換えるそうだ。
「目の不自由な魚」とか、「足の不自由な魚」ではいよいよわかりにくいのだが、そうなると根拠が学名にしかなくなるように思えるが、その学名だって適当に付けられているのも多いと聞いたことがある。ユスリカなんかは本格的なフィールド調査を始めるとあっと言う間に新種が出てくるようなものらしく、ある先生は次々に自分の名前を付けていったらしい。例えば、エレクトプリモスとかいうのがあって、山田先生が見付けるとヤマダエレクトプリモスと付けたり、接尾に足したりするんだそうだ。
高山植物などは、平地のものにヤマネ、タカネ、ハクサン、タテヤマ、シロウマなどと付いているので、実際そんな程度で付けられていたのが和名なんだろうなあ。
これで、どこかで聞いた話だが、日本語で、例えば、冠動瘤破裂などと書いて、静脈なら「動」が「静」になるだけのことで、多くの病名はそういう仕組みで漢字の組み合わせから様子がわかるようになっている。ところが、英語では固有のことばが付いていて、それぞれに全部憶える必要があるなどということなんだそうだ。
そういうことがあるので、標準和名でも、例えば、鳥の名前に、コサギチュウサギダイサギなんてのがあって大きさで似たようなのを区別している。チュウサギだけを見た場合にはほぼわからないという欠点はあるものの、様子をうまく表して結果的に差別的な表現になってしまっていることがままある。
どういう言い回しになるのか、他の分野にも広がりがありそうなので、興味深い。
ちなみに、ウエノヒラタカゲロウなんてのは人の名前に思えるよね。