近所の図書館で

小学校6年生の国語の教科書に「海のいのち」という立松和平さんのお話があって、これがなかなか味わいのあるものだと聞かされていた。
で、近所の図書館で開架を見ていたら、ああ、あるある、絵本なんだ。

川のいのち

川のいのち

田んぼのいのち

田んぼのいのち

木のいのち

木のいのち

街のいのち

街のいのち

たくさん、ある。
それぞれに味わいのあるフレーズがいくつか出てくる。
「海のいのち」の「千匹に一匹の魚」なんかもそうで、千匹に一匹の魚を獲っていれば海はいつまでも生きながらえるというのだ。このことで、実はある人と論争した。その人は、どうやら国語の先生でそれなりにあるポジションにあるらしく、そのうえ、釣り師だという。彼は、おかしいという。
「ボクは釣り師だから、千匹に千匹の魚を獲りたいと願う。千匹に千匹の魚を獲るのが名人だ」
「そんなの漁師だろうが」
などという応酬があった。
漁師が千匹に一匹と言うところに、いのちに向き合う矜持が見えるわけで、獲れることと獲ることの違いに気付かないのを漁師とも言わんなどと思ったが、こういう話はすぐに環境論になってしまって、結論が見えてしまうんだけど、いっそ立場が違うだけにおもしろかった。
小学校6年生の教科書には、まだ「やまなし」が残っており、クランボンはまだまだ意味不明としてかぷかぷ笑っているのである。あれを意味不明などと欄外に書き込んでしまう光村図書の態度が数十年も改まらないのはどうしてだろうなあ。
そういや、「田んぼのいのち」は、賢治ってのが主人公だった。
好きなのは、「川のいのち」の最後のフレーズ。

 こうして悟と雄二と真人の十一歳の夏休みは終わりました。
 三人は川にめったにくることができなくなりましたが、川は何も変わったところもなく流れ続けています。

そうなんだよ。変わらないんだって、川は、いつでも。
id:bakkenさんを思い出した。