時代の意志

今日、三男の発表があって、何とか4月からの進学先が決まった。ずっとこんな気持ちを抱きながら日々を過ごしてきた。自分が直接手を下せないことは実にもどかしい。ボクは特に面倒なことほど自分でやってしまいたい方で、仕事でもこちらの想定通りに、あるいは、確認事項通りに動かないことに苛立ってしまう。そんな思いをするくらいなら最初から自分でやっちゃえと思うし、自分の立ち位置がよく見えていない人には冷たい態度を取ってしまう。
今日だってそうだ。あるアクシデントの報告に、憤っている自分がいる。状況を伝える前に、とにかく来てくれと言う。判断のしようがない。状況を把握してからはとにかくどう対処できるか、最善の方法を検討する必要が、少なくとも組織的な対応としてあるべきだと思っているからか、その場を切り抜けるのに必死という感情を前に出されると、いけないと思いながらもついそうやって、冷たくあしらっている自分がいる。
あるイベントの準備でも、担当がいるのでちゃんと任せたつもりのことがいくつかまったく理解されていなくて、理解させていないことを問題にされたような言い方をされて憮然とした。まったくその通りなのだが、言われると腹が立つ。イベントの開始時刻に平気で10分遅れてみたり、イベントの進行をぬけぬけと時間オーバーしたりとデリカシーに欠ける態度をされて、実はそれさえ読み込んで必死の時間調整をしても、悪し様に言われ、運営の不手際を影口される。そういう立場と言えばそうなのだが、それぞれの無理などは言っていないつもりが、どうやらボク自身がタスクと個人ごとに生じる処理の加減の見極めをしくじっているらしいのだ。
こと自分の子どもとなると、もっともっとといよいよ手を出したくなる。ずっと我慢してきた。仕事でもそうだ。がまんして、がまんして、少しでも意志が働いたときに反応してあげる。いつもそうやってきた。受験はいよいよ手の出しようがない。
長男のこの1年のくらしとその心を思うと、もう辛くて辛くて、何度あの狭く冷たい部屋を思って涙したことか。絢香とかいう歌手だったか、同じ月を見ている人に向けた思いを歌っている。時々、耳にしたのだが、本当に身に染みて、切なくなった。同じ月を見ているという共感の仕方しかないのだが、その共感だけでもと思えるのが、きっと親の心なのだろう。長男ほどには、ボクは両親にいろんなことを話さなかった。勘のいい父はきっと概ねを考えていただろうが、素直で率直で何にもでも過剰なくらいに応える母は、何に向かって悩んでいるかもわからず、辛かっただろう。きっと、ボクの見えないところで、ボクもそうだったように、父も母も切ないからだを抱えていたのだ。
三男にも可哀想な思いをさせた。どうしても、長男の生活が厳しいものになっているだけに、同じ受験生なのに彼には十分な気持ちを寄せてやることができているのだろうかと問い続けた。そんなことはおくびにも出さない子だけにいよいよ愛しい。飄々とした姿は、いわば、不安や恐れの裏返しでもあるのだ。ボク自身もそうだった。辛くなると、何だかそこから中心を逸らすような仕種をする。それを不真面目や不誠実と捉えている人もあったかもしれない。今日は、時刻になっても連絡が来ない。少し過ぎても来ない。心配になって学校に行くと、合格したとうれしそうに駆け寄ってきた。まだ、保育所の頃、自宅に帰ると「パパー」と駆け寄ってきた表情と同じだ。
どうやら心配でうろうろしていたらしい。いや、それよりも、失敗した仲間がいるところで喜んでいる顔をしたくなかったという。長男も、次男も同じことを話していた。こんなときに、そんな風に考えられる人になっていることに感謝する。親が教えたわけではない。社会や学校がそう育ててくれたのだろう。有り難い。
手の届かないところだが、子どもたちはちゃんとやっていたらしい。自分の人生を自分で決めて切り開いていく。その覚悟を持てるのは、おそらくこんな機会だろう。子どもたちを見て、教えられた。何が正しいかはわからないが、自分の生き方にだけは正直になろうと思った。他人の行いに阿ることや憤ることは、これまでと同じように止めよう。人を信じ、たとえ、それ裏切られることなってもいつまでも信頼し続けよう。たとえ、それがボク自身の評価を損ねることになっても、信じた人々を恨むまい。そういう生き方をすると、息子たちと同じ高校に進む決断をしたときに決めたじゃないか。
ネクタイする仕事に変わったとき、ボクは高校入学のときに買った時計をまたはめることにした。今の職場に来て、しゅうしょくいわいにいただいた万年筆を使うことにした。時代の意志を忘れないために。