前の職場の歓送迎会

昨夜、歓送迎会。結局終電。眠ったら終点だった。帰宅してもからだが重い。最近、飲むと全然ダメだなあ。
前の職場の人とひと通りさえ話ができなかったが、すでに、別のチームである。それぞれのリズムで進んでいるはずなので、ボクのように基本仕事の話をする人は乱調になる。失礼を言わずに済んだことの方を感謝しておこう。無論、今の職場の空気もすでに変化している。そんなものだ。
転任のスピーチを求められて、これまでどこで仕事をしたい、どんな仕事をしたいと一度も言ってこなかったことを話した。そんなつもりではなかったのだが、それぞれの出会いに価値を持っているように思っているから、主体的でないと罵られることもあるが、ボクはそういうことに希望を持ったことがない。与えられた、あるいは、回ってきた、別の言い方なら、巡り会った仕事に向き合うだけで、そのことを何とかいいようにしていこうと思うだけでやってきたし、これからもそうである。
前にも書いていたように、そこで戦おうとか、のし上がろうとか、出し抜こうとか、あるいは、け落とそうとか思ったことも一度もない。
不満は、間違いなく、ある。その不満は、何に対して生じているのかといえばチームの動きに対して生じている。自分が不遇だとかどういう不平やら、不満ではないのだ。批判は常に善さに相対してなされる。誹謗とか、中傷とかいう感覚で受け止められることもあるんだろうが、それは読み取り側の心情によって奇妙に歪められることもあるんだろう。そんな表現をするボクが悪いのだが、こうやってことばにすることで何かを触発したいだけなのだ。
でも、昨日やってきた洋服屋が、「あなたの立場は、忙しそうにしちゃだめですよ。もう雑巾がけじゃないんだから、のんびりと構えていると、みなさんが楽になるんです」と話す。たくさんの職場を回っている業者だけで、本当にそのとおりなのだろう。20年も前に作った3ピースを直してもらって、新しいのをひとつ作ってもらうことにしようと思う。
ふと、敵を作らない人は味方もいない、と新聞にあった広告のなかのことばを思い出した。あえて敵を作ろうとは思わないが、敵意をもたれることはないわけではない。その分、認めてくれる人もあるのだろうと慰めてみる。それが、ユーザさんならとてもうれしい。