生と死の両方を

納棺夫日記」でよく知られた青木新門さんの講演を聴いた。いくつかのことばにしびれ、人生のさまざまな場面が次々に去来し、ずいぶん涙してしまった。
青木新門さんは、「生と死の両方を視る複眼」が必要だと説く。どこで何時だったか忘れたが、小学6年生の授業で「死んだら生き返ると思っている人」と問いかけたら、7割ほどの子どもがそう思っていると答えているという、まるでテレビのネタみたいな報道があったが、いくつかの映画やゲーム、テレビ番組を挙げて、いずれも死をファンタジーにとらえるがゆえに生まで曖昧にしていると話される。(いや、青木さんはそうは言ってないが、ボクの意訳)
本当にそう思うんだ。
この間、「水辺の生き物探検隊」で、川虫の標本を作りたいと採集した川虫を持ち込んだ子どもの目の前でスクリュー瓶にアルコール漬けしたら「かわいそう」と言われて白眼視された。わけがわからんのだ。標本にする行為を知らないで、標本を欲しがっている。死を隠蔽して生ばかりを称揚するこのところの世情が映る。
青木新門さんは「すからべ」を経営しておられた方なので、きっとボヘミアンだと思っていたのだが、それは勘違いだ。徹底したリアリスト。講演では、実存主義を批判しておられたが、むしろ、己の実存に親しく向き合い、慈も非も受け入れる混沌であった。
お話を聞きながら、曾祖母の臨終を思い出した。
夕方、つんこの家から帰ってくると家が騒々しい。奥の座敷に人が集まり、ばあちゃんを囲むように覗き込んでいる。
「やっと帰ってきた。」
「ここに来てばあちゃんにさよならしよ。」
などと口々に叫ばれて、ああ、ばあちゃんがきっともうすぐ死んじゃうんだなと思ったが、そんなときにどんなことばをかければいいのかわからない。躊躇していると、みんながわあっと泣き崩れた。最後の光が消えたのだろう。あとのことはよく覚えていない。座敷の入り口の赤い戸の黒い縁に手をかけたまま、一体ボクはどうすればいいのかわからず、やがて、2階にいろと言われ、2日後の七夕の日に、玄関に飾った小さな七夕飾りを見ながら、ばあちゃんが天の川を渡っていったんだなと思ったその風景に飛ぶ。
曾祖母はとても働き者で、亡くなる少し前は、小さい体をいよいよ小さくしていた。ボクはとても愚図愚図した子どもで泣いてばかりいたが、母に叱られるたびに、ばあちゃんはボクを庇ってくれた。何も聞かず、何も言わずただ庇ってくれた。つれあいに先立たれ、嫁が亡くなり、孫や息子を見送った。やがて、ボクの妹が生まれると、慈しむように細い目をさらに細めて抱きかかえていた。
青木新門さんの話を聞きながら、ばあちゃんはきっとボクを待っていたんだと40年も経って気が付いた。ばあちゃん、ごめんよ。どうしてあのとき、ばあちゃんとさえ言えなかったんだろう。なぜ、ありがとうと言えなかったんだろう。ごめんよ、ホントにごめんよ。
ばあちゃんが打ったというそばを真似てみているけれど、ホントはどうなのかな。ばあちゃんほどには絶対になれないよ。でも、続けてみるよ。ありがとうって言いながら打ち続けてみることにするよ。