つながり=愛

ミスチルのコンサートでそんな定義を持ち込んでみたのだが、その「つながり」の危うさが現代の諸相ではないのかと考え込んだ。つながっていないと、あるいは、そのつながりを取り結んでいないと不安になるというあの感情である。
ミスチルの「つながり」とは、吉本隆明の対幻想的に現れる連帯的な想像力だと思っているのだが、そこに想像力を欠いたり、過剰に入れ込んだ想像力、というよりも、妄想めいた現実感を付加してしまったとき、つながっているのだというリアリティを探し求めて、探していることが生き方の充実感であるかのような思い違いが、わずかな「つながり」感の喪失による虚無を、また、殊更の想像力によって生み出していく。
そのことに、ミスチルはどんな「愛」を描いていくのだろうか。そのあたりの思考の手がかりには、歌詞が必要になるか。あまりにも、ボクはミスチルの歌謡を知らない。