20年ぶり

そういやしっかりと話をするのは20年ぶりくらいだった。あんなに近く感じていたのにどうしたものか、齟齬をきたしている。この部分までことばもなく共感でき、ここから先は表現を用いてコミュニケーションしなければならない距離感がしっかり測れたのだが、表現がひとつひとつ齟齬の構造をいよいよ絡ませる。
世代を共感するのはとても難しいことだと、ようやく、今頃になってわかってきた。
いろんなこと思われ、いろんな様子で語られているのだろうなあ。そもそも、よく思って欲しいとは望んでいないが、それでも悪し様に言われるのは平気と空元気出しても寂しい。去年の今頃、長男とそんなことを話した記憶が蘇る。あいつにそんなこと話しても仕方がなかったのかも知れないが、たしかこんなことを話した。
ボクは媚びない。ボクはボクであり続けることを目指すだけで、ボクを何かに寄り添わせるためにボクでなくなることはしない。しかし、昨日のボクはボクではない。ボクはボクであり続けるために変容するのだ。
どのくらい通じたかはわからないが、彼は彼の望みにこだわり続けてやがて意志を貫くように大学に行った。
ボクに立場という属性がまとっていることに、たまに戸惑わせられる。ことばの性質は、饒舌から能弁になってきたのだが、そのうち、このボクでさえ寡黙になるのかな。