北陸本線の様子
「剱岳〜点の記〜」では、柴崎測量官は米原を回って富山入りしている。で、北陸本線がどうだったのかを調べると、明治32年には富山まで開通している。福井の難所はその後も度重なる改良があったが、明治40年の剱岳登頂当時は、とりあえずそのルートで富山入りしていたようだ。
それでは、親不知を抜けたのはいつだろうと調べると、大正2年とある。これで東京から富山に入るには新潟を経由することになったのだ。冠松次郎はこのルートで富山入りしている。実際「黒部渓谷」には直江津以西の駅名がいくつも出てきて、そのなかに富山県東部の「泊」や「三日市」も出てくる。冠の大正14年、十字峡の発見となる下廊下遡行は、三日市からスタートしている。となると、かつて見たことのある東京発泊行という列車はどのくらい運行されていたのかに興味がある。
泊駅まで北陸本線が延伸するのは、明治43年。となると、わずか3年ほどの運行だったことになる。
こうやってクロニクルで見るといろいろわかるものだな。柴崎と剱に挑んだ長次郎は、冠と下廊下を探検するが、剱から実に20年も経っていることに気付く。点の記当時、駆け出しだった日本山岳会も、すでに山の文化のセンターとして当たり前のように機能する時代になっていた。
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ちゃんと年表作らないといかんな。