スピード

今夜「スマスマ」に出ていた東国原知事が、「み」と書いたTシャツ一枚作るのに半年かかった話をまた、やっていた。ギョーカイのスピード感と違うというのだ。これ前にも書いたと思うが、こういう言い種を有権者として許せない。
行政の仕事に時間がかかるのは当然である。速度が求められるもの、つまり、危急性の高い事柄にはそれ相応の決裁の仕組みがあるとして、そうではないものにはできるだけ合意形成への障壁をこしらえ、石橋を叩くようになっているのだ。当たり前だろう。それこそが、税金を預かる仕事だ。まるで取るに足りない仕事を引き延ばして無駄に給料をもらっているかのような言い方があるが、では、有権者に選択されたからといって首長の思い付きを無制限で認めたり、法令規則で決められた手続きを省いていいものだろうか。それこそ、守屋事件を他山の石とすべしである。
今度ああいうことをぬかしていると、政治芸者と揶揄しよう。芸者が権威をもったのだから芸者ではないか。もっとも、そういう人たちはそこらにごまんといる。本当の志が何なのか、それが通用するものかをとても測りにくい時代になったようだ。
そんなにスピード感が大切なら、そんなに人気商売のような展開がお望みなら広報活動ではなく、行政の密度を高めるべきである。いや、案外スピード辞任か。