あの日

その年はなんだかそわそわしていた。
ボクはその春に大学受験をしくじり、富山市の予備校で浪人していた。しかし、授業にはそれほど熱心ではなかった。高校の延長のような多くの授業はかったるくてやっていられなかったし、予備校特有の鉢巻一本とまでいかなかったけれど、そうしたノリが何とも窮屈だった。ボクがいた高校はもっともっと教養的であった。受験に特化した技術など、予備校でなくても身につけられる気がして、自習室の主と化し、午後からは決まってジャズ喫茶で本を読んでいた。
中学の頃から聞き始めたのが、ビートルズだ。はしかのようなものだ。誰でも感染し、発症する。物心つき、分別が出てくるともうビートルズは解散にかかる裁判の真っ最中であった。が、彼らの残した物をまだ網羅し切れていないボクには、もう新しい物を生み出さなくなったビートルズに感傷はなかった。
やがて、ソニースカイセンサーという高級ラジオを手に入れたボクは、日曜日に鈴木ヒロミツがやっていたビートルズの番組を楽しみに聞くようになった。NHKFMの「ヤングジョッキー」も楽しみだった。渋谷陽一ビートルズで60年代を語り尽くされることに警戒感をもっており、一方、鈴木ヒロミツはどこまでものめり込んでいく物にもうただただ自分を任せていたようにも思えたものだ。
当時、ボクはポールの曲に心酔していた。きらびやかで、洒脱で、沸き立つようなポールの楽曲は、まだまだ演歌と重い歌謡曲、しかめっ面のフォークソングに辟易していたボクには、大切な宝物のように思えていた。それだから、鈴木ヒロミツがレノンを語るたびに、村山実と同じ嫉妬を感じていた。尊敬はするが、何かひっかかる。
時は移ろって、やがて、レノンが日本に住んでいるという情報が入り、そのうちに、新しいアルバムが出るという。ボク自身の生活の変化と相関して、何かが大きく変わるような予感があった。しばらくして、「スターティング・オーバー」がアナウンスされ、町に流れ始める。レノンは再び歩き始めた。そう思い、いつかまた軽井沢にやってくることがあれば、きっとボクは同じ空気を吸うためにその町を歩こうと決めていた。
その日も自習室にいた。コンパクトラジオにイヤホンをつけていたボクは、昼前のニュースでその事件を聞いた。世界が変わる予兆なのか。ボクにはそのような大それた風にも感じたが、結局、何の弔いも、何のけじめもつけられず、そのままジャズ喫茶でコルトレーンと絡むファラオ・サンダースを聞きながら、いつものように帰りの列車に乗り込んだ。ボクはまんまと地元の大学に進み、今の仕事に就いた。
2000年が終わろうとしたとき、担当していたラジオ番組でどんな曲を流そうかと考えた。12月30日夜のオンエアで、もうじき21世紀がやってくる。選択したのが、「スターティング・オーバー」であった。ラジオでこみ上げるものを押さえながら震える声で、「21世紀は必ずことばとからだが復権する世紀になる。そのとき、ボクらはジョンが伝えようとした愛の正体を知るんだろうと思う」と話した。
もう、ボクはレノンの歳を越え、やがて、あの日から30年になろうとしていることを、薄くなった頭髪にようやく気づかされながら、今も抱きかかえるようにして日々を過ごしている。