行政の窓口がコンビニ化すれば事は満足していただけるのか

地域関係のページを見ると、どこ見ても役所の窓口が愛想がないなどと書かれている。
が、そもそも、住民票もらうのに愛想が要るのか。
行政サービスとは、公的な手続きそのものを指しているので、スマイルで、さわやかになるような場所じゃないし、そんなことを求めている理由がわからない。
一方で、コンビニの愛想はマニュアル的で心がないなどと言われてもいる。どうすればいいんだろう。
住民票一枚でも真心をもって接します。
そんなスローガンが張ってある役所は、「廊下は走らない」と書いてある学校みたいです。
自分たちでどうにもならないことは役所のせいにしてしまう構造の有りようは、ナスカの地上絵を見て現地の人にはできないことだから宇宙人の仕業と騒ぎ出す人みたいだ。飛行機がなければ全部が見えないことは、そういうものを書けないことの証明には成り得ないのにね。現地の人たちを莫迦にした優越感丸出しです。
中東の笛」もそう。やっているじゃないか、そのへんでも。立場が変わると激しく糾弾するのはけっこう危ないことだと思うよ。
道路を造らせないのかという前に、そもそも自前の財務体質を何とかしろよと叫びたい。
去年だったかな、夕張が成人式をやめたってことになって全国から支援が寄せられたなんて話があって、せめて成人式くらいという言い方が蔓延していたが、「せめて」と付けちゃえばなんでも哀愁を帯びて同情される。自分たちでできるんなら最初からそうやれよ。祝ってもらおうという魂胆が浅ましい。というのか、どっかでそんな体質になったんだろうね、社会が。
ご町内の関係の会合でも、すぐ行政がスケープゴートになる。補助補助などと言っている割に、案外、どこかルーズ。
くだらないこと書いちゃったな。ま、書いたものは仕方がない。
あと1週間は、中国餃子で持ちきりだな。一晩にしてハンドボールが飛んでしまった。