聖火リレー

萩本と福原で妨害行動が見えたというのはおもしろい。
結局、メディアの注目度が上がったおかげで、抗議行動もコストパフォーマンスが上がったわけだ。
しかし、長野から10年。あのときのことを思い出すたびに泣きそうになる。長野と言うよりも白馬なのだが、ボクの大好きな白馬の空気が不思議なフィルターに包まれたように静穏に、かつ豊饒な香りを湛えていた。最後の競技は、恒例の50キロメートルクロスカントリー。ダーリの当然の金メダルで終了する。その瞬間、ボクは山をひとつ越えたみねかたにいたのだが場内に、その競技を終了するアナウンスが流れた。同じ場所にいられたことの幸せを満喫していた。
立松和平がさまざまな場所を巡礼しているのだが、歌枕などの場所には特別のオーラがあるというような話をラジオでしていた。ストロベリー・フィールズは全く何もない場所なんだけれど、そこにいるだけでよかったのだそうだ。
場所にあるのではなく、そこに立つものの心情にあるのだろうが、風景に付き動かされなければ生まれ得ぬ心情でもある。土地の力。こういうのを何というのだろう。言霊ということばがあるので、何かあるのだろうが、思い出せぬ。
善光寺という土地に守られて、きっと聖火リレーは終わる。
間抜けなコメンテーターが政治とオリンピックの癒着を嘆いている。癒着ではない。もともと一体なのだから、今更癒着のしようがない。