塩の道ウォーク

念願の塩の道ウォークに参加。これまで、白馬の行程の一部に参加していたが、やはりおもしろそうなのは小谷で、実際その通り。
栂池の駐車場にクルマを止めて、シャトルバスで下里瀬まで戻る。JRの人は南小谷からもバスが出ているらしい。下里瀬は、サンテインおたりやローソンのある場所で、最寄りの駅は中土。ということは、ここから、中土−南小谷−千国−白馬大池まで歩く見当。地図上では、約10キロ。高低差は300メートルくらい。
たくさんの人が歩く。同時に、集落に着くごとにふるまいがある。飲み物、食べ物があったり、太鼓や民謡の演奏があったりと、昔の旅装束の風情だけでなく、塩の道祭りの意味がはっきりとわかる。39回目というので、おそらく現地のスタッフの中心としてさわやかな声と表情をかけ続ける青年たちは生まれてからずっとこの祭りがあるということになるか。それだけに、空気がいい。誰もがんばっていない。大声を出すものもいない。騒然としたたかぶりがないが、内心の充足度が高い。何よりも、小谷村は最近とりわけそんな感じを抱かせるのだが、自分たちがもっている文化、受け継いできた文化、どこにでもあるものでも、そうでなくても自前の財産を実に大切にしている。
つい先日まで道の駅小谷で「おやき」として売られていたものが、今日見たら「ちゃのこ」となっている。小谷の呼び方だそうだ。地方名ではなく、その土地で呼ばれているものの名前でそのまま読む。それほどグローバルな感覚はない。見習いたいものだ。どうも、ボクにもそういうところがあるのかもしれないが、何かに媚びへつらい阿る。自分たちのままのものをそのまま認めてもらえばいいではないか。それはまた、自己尊厳にも通じるはずだ。ただの山菜が漬け物になってふるまわれている。どこにでもあるこごみだが、そこでしかないこごみとして、確かに感じられる。
山里の風景は美しい。新緑、残雪、青空、庭の花々、生活のにおいのする家々の佇まい。そうしたものがすべて溶け込み合って風景を作っている。思っていたとおりである。
小谷村役場まで来る。南小谷の駅の川向こうだ。ふとリフトの残骸を見つけた。コルチナ国際スキー場がスキー場までの輸送リフトとして使っていたものだ。中学生の頃、使った。中学生が電車で来られるスキー場は少ない。バスを使わなくてよいスキー場は、貴重だった。コルチナ湿原をV字で挟むように設えられた珍しいリフトがあった。圧雪のない時代、雪が積もるとすっかり漕ぐしかない斜面も、今ではよく整備された一枚バーンになっている。いろんなことを思い出して泣きそうになった。会えてよかった風景である。
「歩けばきんぽうげ、すわればきんぽうげ」と山頭火がよんでいるが、「分け入っても分け入っても山里の春」そんな陳腐な借用を思い付くくらいに気持ちがいい。何かに取り組んでいて、いろんなことを忘れるなどという単純な逃避行動が苦手なボクだが、スキーや釣りと同じように心が清明になっているらしいことに気付いた。
別当で干した魚が入ったみそ汁をいただく。海沿いの町に住んでいてもこんなのは食べないぞ。少々塩辛く深い味は案外後を引かない。飛脚下帯姿の青年が「しる、うめー」と叫んでいた。何という食べ物かといわれれば、「しる」なんだろう。そういやバタバタ茶も現地では「茶」としか言わない。バタバタ茶というのは、他の村の人が自分たちのものと区別するために使った言い方だ。飛脚下帯青年隊はノルディックウォークのストックを手に、コースのところどころで人気を集めていた。そのうちの数名がこの大別当で太鼓の連に加わっていたが、なかなか愉しそうで、ボクまでうれしくさせられた。何かが彼らをこの土地に引き留めている。町で一番優秀な連中から順番に町を出て遠くで偉くなっていくような傾向を思い、つらく悲しく、同時に彼らの姿に大きなリスペクトを払う。ボクの町だって、あの頃素晴らしく優秀だった連中ではなく、ここにいるものが支えているんだ。そのことを町にいるものが、もっと誇りにしてもいいと思った。
行程は時折少しばかり急な坂を交えながら緩やかに栂池に向かう。人の波に押されながら、混雑が嫌いなボクがうれしそうに歩いている。それもこれも景色だろう。歓迎する人々の立ち振る舞いがしっかりと風景になっている。地域イベントはこうでなくっちゃと、どうやったらそうなれるのかも考え込もうとして止めた。今日は、ボクは「歩く」。ボルノウの言う「歩く」ことに専念しよう。
千国の番所から親坂を登り切ると沓掛の牛方宿である。標高の違いがまたしても風景を変える。ここまでくると、頸城の山々が美しい。ボクらを励ます木遣りの響きが、そのラウドスピーカーの粗野な音でさえ快い。
牛方宿からまもなくすると水芭蕉の咲く水辺が切れ、いきなり白馬の山並みが姿を見せる。圧巻である。やがて、この小さな旅は終わり、ゴンドラ駐車場で完歩賞をもらって、駐車場に戻る。9時30分に歩き始め、14時着。けっこう歩いた。
疲れを癒しに、小日向の湯に行くことにする。途中、ニレ池に寄るといっぱい。ルアーの人で岸辺がいっぱいに埋まっている。わずかにフライ桟橋に数人のフライマン。一面の桜の花びらの中にもっこり出てくる目の前のライズを無視して遠投を試みている様子からすれば、よほど釣果に飽きたか、それほど経験がないかのどちらかだろう。空いていれば1時間ほどとも思ったが、雪代も入り、桜の花びらを逸らしていくのも面倒そうで、お風呂にした。
どんな風に息をしてもからだが緩んでいく。そういう一日だった。