延長2アウト、1、3塁

ジャイアンツ対カープ戦が延長になって、ふとWBCの決勝戦のことを思い出していた。正確な記憶はないが、イチローの決勝タイムリーは、韓国ベンチの作戦的な躊躇がもたらした中途半端な結果だったというのが、今のところの評価だと思う。イチローの凄さを賞賛する声もあるのだが、相手投手は、NPBのセントラルリーグの下位チームの抑えの切り札である。あの局面で、あれだけファウルになってしまうあたりに、実はイチローの調子が見えている。結果オーライだったのだろうと思う。
あまりその後語られていない大きな疑問は、岩村のスチールである。2アウトになっているのだから、あの場面は、普通は走らない。2点をリードできる形を作るよりも1塁を空けてはっきり勝負されるのが嫌なのだ。となれば、何が起きたか。答えは簡単である。ベンチワークだ。中島勝負をベンチが選んだ。つまり、イチロー敬遠策を日本ベンチが選んでいる。その方が決まると見ている。
韓国の配球からは敬遠を決めている様子はない。きわどいところを攻めてそれえカウント次第で歩かせるという気配が濃厚。つまり、イチローの状態をそれほどよいとは見ていない。次打者と計りかねている。そこへ強引に一塁を空けてしまうことではっきりと敬遠の意図を示させるということだ。つまり、ベンチはイチローが打てない方に作戦を引いている。
ところが、韓国はシリーズのイチローの調子を考えると中島勝負は考えものだとも思っている。イチローは勢いのある球にはついていけていない。それを考えると、中島の方がやっかいだ。どうせなら、ここで勝負してしまおうと、結局、岩村のスチールにも戦術を変えなかった。結果があれだ。
つまり、その岩村のスチールの瞬間に、イチローはある決定的な選択を示された。そこで結果を出した。あの程度の投手からのセンター前ヒットをあれほどに喜ぶのは、その局面を委ねられることを避けられたものからの起死回生であったせいだろう。彼は本当のどん底、日本チームからの責任さえ剥奪されるすんでの場所に踏みとどまった。そのことへの歓喜であり、「もっている」「神が降りてきた」発言である。人に見捨てられた思いがひどくあったのだろう。あの打席のファウルはイチローがこれまでに見せてきたことのないほどに泥臭いものだった。
これでイチローが何かのスタイルを変えれば、本当に50歳までやってほしいと思えるのだが、そう簡単には変わるまい。では、長島と同様に40を前に退くよりほかにない。
原はすごい監督だ。あの場面でその選択をし、選択によって、結果的にではあるが、イチローの決勝打を生み出した。今日の延長戦のシートを見ながら、若い連中が強い守備ができるチームを構成している。素晴らしい選手を育てている。いわゆる「生え抜き」が少ないなんてよくいう人があるけれど、しっかりと伸びているじゃないか。