くちいわ

うちの町にできた蕎麦屋。以前は、ラーメン屋だった場所だが、東京で修行してきた地元の人が郷土で蕎麦屋を開きたいと始めたものだそうだ。会合までにしばらくの時間ができたので、そばでもつまもうということになった。江戸前のそばだというので、そういう感覚が大切だろうと思ったのだ。
江戸の人たちにとっては、そばなんぞで腹をふくらまそうなんてのはふてえ考えだ、そうで、喫茶店に入って珈琲を飲む感覚があったらしい。とはいえ、この土地ではしっかりと食事になる。昼も夜も、夜は10時までやっているというのだから恐れ入る。
品書きは、なるほど、江戸前。せいろに、つけおろし、天ぷら、鴨せいろ、そして、かき揚げ。同じ町に草の子という名店があるが、そちらは戸隠からの流れで、違いがきれいに見えていい。そうすると、そばの様子もああだろうとアタリを付けてみる。ひとそろいの汁物、種物があって、あとは酒肴である。蕎麦屋らしいラインナップだが、天丼も並ぶ。蕎麦屋でもご飯ものを出さないところは多い。実はその傾向は山間の蕎麦屋の方が多く、東京では名店と呼ばれるところの多くはご飯ものを持っていないことが多いのだが、出前も取る町場の蕎麦屋では、ああ、こっちはそば屋と書いた方がいいかな、そこでは、普通に丼もあって、これがまた旨い。天ぷら屋の天丼とそば屋の天丼は違うのだ。山間の蕎麦屋がご飯をもっていないのは当たり前で、そもそも米がとれないのでそばを食べていたわけで、そばが嗜好品ではなく、日常食だったからなのだ。こちらのお店はご飯を用意して、草の子は戸隠らしくそばだけ。どうしてもという人のために、越後の柿の葉寿司の如く、土地の押し寿司が供される。それもまた、店ごとの味わいで、いよいよいい。
店の内装は大きく変わっている。素っ気ない看板は、逆に趣を感じる。明るい店内には、2つほどの入れ込みとカウンター、激しく高さのある小上がり、いや、よじ上るほどのあがりかまちである。どうも、そこから打ち手が見えるようなのだ。カウンターからは亭主が見えない。付け台ではなく、これはまさしくそばに没頭する仕組みか。
さっとせいろを頼む。メニューをじろじろ見るのはあとでいい。自慢のせいろをいただこう。
まず、たれがやってきた。そうでなくっちゃ。たれを口に含む。鰹節の香りでいっぱいになる。そばを前に過剰じゃないかと思うほどの香りの豊富さ。なるほど。返しはきつくない。この土地に合わせたか、いやしかし、醤油は土地のものでない気もする。

そばがやってきた。竹の笊に乗っている。じゃあ、ざるそばじゃないかと思うが。ここは強烈な違和感。メニューで誂えを読むのだが、せいろなら、しっかり蒸籠で出さなくちゃ。あれはもともとそばが蒸籠で蒸されて食べられていた時代の名残で、笊に乗るならざるそば、平皿に乗ってくれば盛りそば。そこらの文化は外したくない。
そばは細身の角が立ったよいそば。職人としては腕がいいのだろう。丸抜きよりも少し洗練されている二八。更級を好む江戸の人らしい。江戸の人が更級好きなのは、いい小麦が取れず、上方のようなおいしいうどんがなかったからだとする説もある。それはともかく、風味は優しく、よくひきしまって、ほのかに甘い後味が残る。よいそばです。こういうものを食べさせる店が増えるのは本当にうれしい。
見定めたようにそば湯が出てくる。湯桶。これも江戸前。お里がよくわかる。
そば湯でのしたときに本当のタレのよさがわかるというのだが、その性格は一貫して鰹節の風味に支配されて変わりない。丁寧に作っているのだろう。そば湯は、おそらく粉を混ぜている。これも好き好きで、客の頻度によって、あるいは釜の状態で濃度が変わるのを嫌って、適当な量のそば粉で調整する店も少なくない。ボクはその店の様子に合わせてそば湯の濃度も想像しながら、あるいは、そば湯から店の様子を知るような愉しみも含め、それが蕎麦屋を楽しむことでもあるので、釜からざっと掬っていただく方が好きである。女房は、ポタージュタイプのそば湯がお好みなので、こうやって粉が混ざっている方が好きなようだが。しかし、いずれ好き好きを口にできるレベルということだ。
ごちそうさま。お若い活気に満ちたご亭主だった。今度は好物の鴨せいろ(たぶん、鴨ざるだと思うが)をいただくことにしよう。
水曜定休日。