フライの雑誌

最新号は、何だか久しぶりの感触を味わった。尺という物語もあったのだろうと思うが、魚を巡る、川をめぐるよしなしがちりばめられていて、それにテンカラの話題もあって、最後にマッキーズである。この人がボクらの背中を押してくれた宮坂さんだったかと、便所という不謹慎な場所で読みながら涙を流してしまった。
釣り竿をどう表現するかってことでワインに倣っている。そういうのもいいな。でもワインは飲まないので、ボクはウィスキーにでも喩えようか。
先週、フライ教室ということで、近所の公園で、これもご近所の子どもにキャスティングを教えた。マッキーズで特別にあつらえてもらったロッドなのだが、グラファイトに慣れちまった人には振りにくく、全くそういうものを経過せずにとにかくフライロッドを振るということの基本をふまえたときにはちゃんと飛んでいくという素晴らしいロッド。
15ヤードちゃんと投げられればもう何も伝えるものはない。自分で立ち上がって、自分の釣りを育てなさい。
そう言いたくなるロッドである。
果たせるかな、約1時間。少年はラインをするすると伸ばし、やがて、飽きてしまった。次は、魚を、川を目の前にして苦労する番だ。残念だが、その苦労だけは、おじさんにも減じてやることができない。なぜなら、その苦労こそがこの釣りの面倒くさい面白さなのだから。そこを飛び越して魚をぶら下げたいのなら、もっと簡単な遊び、そうだなテレビゲームでもおやんなさい。ゲームのやっかいさは所詮人の仕業だ。魚はそうはいかない。気まぐれで、行き当たりばったりで、そのくせ、必死だ。何せ命がけだからね。
川に立つと、毎回小橋。出し尽くすような気持ちがないといけないのだが、おじさんはそろそろ百田になってしまっているよ。