粛正、禊

ある事件に付いて起訴猶予になるんじゃないかとのことで議論が沸騰している。いや、沸騰しているのは議論している側か。議論かどうかも疑わしいのだが。
覚醒剤を使用したあるアーティストは執行猶予付きの懲役刑が確定。そののちも、アーティストとしての活動を続け、また、その逮捕歴も隠さず、そのことがむしろ生き方の肥やしになったと話す場合もあるという。彼の楽曲は、学校でも歌われる定番曲となっており、覚醒剤使用の過去に付いて多くの場合は言及されていはない。おそらく、ある種の禊を果たしたと考えていいのだろう。
ところが、今回の場合には、そのような気配がない。アイドルと音楽家の差はあるとはいえ、「裏切られた感」の増幅が憎悪に発展している可能性が高い。その憎悪による粛正なら止めてしまおう。しかし、単純化された沸騰社会ではなかなかおさまりようもない。熱源がなくなるか、ネタが切れるか、あるいは、別ネタに飛び火するか。おさまりどころはそんな選択しかなかろう。
事件報道を見ながら世間を考えることが少なくないのは、三浦さん事件以来の癖だが、あの頃よりも、オウムの頃よりもこの国の報道とそれに焚き付けられるような沸騰感は微分値を大きくしている。あっという間に冷めてしまうのも特徴だが、実は本件が冷めるだけで、また、別のところで沸騰している。
「キレる子ども」というのが話題になった時期もあるが、受取手の反応も含めて「キレる報道」という表現もあるのだろう。ただし、そのキレ目はよく見えない。臨界点のない突っ走り感はメルトダウンにつながる。若い人ほど、真摯な議論番組を真剣に見ているという話もある。少し考えさせられる話だ。