左幸子、おおむね完了

1964年のアサヒグラフを手に入れた。「飢餓海峡」の撮影中の左幸子の取材である。
この記事で当時の評価がずいぶん見えてきた。おおむね、原稿も完了。
紙幅の制限も何とかなる見込み。
何せボクなんかよりもよく知っている人が読む可能性があるのでどきどきものである。
前に冠松次郎の評伝を手がけたときにもどきどきだった。困ったなあとか思いながら、結局どさくさで本になっていくつも後悔している。調べてくると立体的になってくるものがあるんだ。ああ、これはこうしておけばよかったなど、きっと今回もそう思うのだけど、まあ、それは仕方がない。時間のない中で取り組んでいるんだから。
でも、足で稼いでない分はいつもひどく後悔する。頭の中で構成するのは簡単なんだけれど、ちゃんと耳や足、眼を使ってみないと出てこない言葉がある。
あ、気がつくともうこんな時間だ。3時間も休憩なしで書いていたんだな。
先週からかな漢字変換を、「A徳島」に変えたので、そこんところはスムーズでした。
昔、「性典映画」っていう言い方があったんだそうだ。
調べてみると、これがよくわからない。今は単純にエロ映画なんて括っているけれど、いろいろなものがあった様子。
左幸子のスチールも入手したけれど、これがなかなかかわいい。そのかわいい左幸子がシミーズになっていたりする。そういうのとも違って、たぶん話のプロットのことなんだろうと思う。
もうちょっと調べてみよう。