オリンピック見たーい

テレビではこぞってそんな話があるけれど、それはどうしても是が非でも、女房を質に入れてもというリアクションじゃないだろ。日本でやっていれば時差なしに見られるぞくらいの感覚で、FIFAワールドカップとは期待感が違う。
FIFAワールドカップだって、長野オリンピックだって、始まったら盛り上がってみたけれど、その前なんか誰が観るんだみたいな話があって、当時の長野の何かの首長がスピードスケートのことを「ミズスマシ」呼ばわりしたことさえあったなあと思い出してみる。想像力が足りないというのか、何がどう起きていくのだろうという前に、現実を目にしなくてはわからないし、いざそうなってみると沸き立ってしまうのは、どっかのホテルのランチブッフェや福袋のようなものだ。あったらお得感だけで盛り上がれるというわかりやすい体質がすでに社会性となって共同体の心象を形成している。
それは、お子様ランチの旗へのナショナリズム愛と同じくらいじゃないのか。

翌日、追加で記入

リオデジャネイロに決まった。
そらそうだろう。
FIFAワールドカップ南アフリカで開催するわけで、未開催の大陸があればそこでやろうというのが五輪憲章に沿った考え。2大陸連続。あるいは、カリスマ会長とか、大統領に乗っかった場所はあまりにも利権臭さが残る。東京にはアピールポイントがない。
これだけいろいろなスポーツが見られる現在、オリンピックならでの価値はどこにあるのかと考えると、未開催大陸という姿は理想的だと思う。