文学に疎く

文学などとっくの昔に終わってしまったと、20年くらい前に考えた。
遺跡のようなものを発掘しながら解読していくことや、想像力が与える描写だけの小説に辟易してしまったことも多く、以来、ドキュメンタリーや思想書、批評などがボクの文字仕事の中心になった。
雅楽倶で何か本を読もうと思って、財布の中に潤沢な図書券があり、滅多に買わないが、太宰治の短編集を購入。こういうのは中古で読むものだと思い込んでいたのだが。
実は伏線がある。本棚にあった「人間失格」、なぜか3冊も別の出版社で買っていたが、そのうちの一つを手に取っていたら、難しそうな熟語に赤く丸が付けられている。どうもボク自身がやったものらしい。少し思い出した。
中学の時、国語の勉強といってもよくわからんので、漢字の勉強でもしようと、そうやって本から抜き書きしては稽古したものらしい。そういう自分を見つけて、ついでに読み始めたわけだ。
太宰と松本清張は同い年らしい。
たまに、文学にふれるのも悪くはないかと思いながら、相変わらずいっしょに買った論評の方がおもしろいのである。
あるいは、村上春樹でも読めばその傾向も変わるのだろうか。