悩める亀井

昨年、5番で活躍していた亀井が、今シーズン不振に喘いでいる。
今日のオリックス戦。1打席目にインローのとても難しい球をホームラン。まるでイチローを見るような。4打席目は、チェンジアップをきっちりとのせてまるで松井を見るような。
彼が5番に戻ると、ジャイアンツは手が付けられなくなる。
4番ばかりを並べたような、と形容されたジャイアンツ打線が今や俊足巧打攻守の選手ばかりになっている。いや、パシフィックはみんなそうなのだ。中島みたいなのがたくさん、いや、そんなにもいないが、坂口のようなのが各球団に必ずいる。イチローに憧れた世代がプロで活躍しているわけだ。
一人のスターがその後のプロ野球を変えてしまう。
ボクらが子どもの頃は、4番サードだらけだった。
10年経って色が鮮明になる。
あの頃、中村S輔に憧れた人たちがJの主力になると、みんな球もちが長くて、得意足でしっかりと蹴ってくれる人になるに違いない。よいリズムを中盤で消して、セットプレーの止まっている球を蹴らせれば一流という不思議な選手だらけになるんだろう。単純にゴールを追うことを求めていた人が、流れから外れつつ新しい時代を拓くプレーヤーになる。
WBCごとに新しいスター選手を見いだす野球と、ワールドカップごとにスターの息の根を止めていくサッカー。どちらも節目になる。
その節目を得て、サッカーを辞めてしまった奴と、どろどろになりながらもサッカー続けているキングと。どちらが好きかと言われると、うれしそうに若いスターと話している早くに辞めてしまった奴は好きになれない。彼の姿で印象に残っているのは、未練がましく、芝生に寝転がり、かといって自分を責める気になれないような、そんな姿だけだ。結局、彼も優勝を争う場所にほとんど自分をおけなかった天才だ。そんな場所で戦っている奴を天才と呼んではいけないのだが、もし、たら、ればの想像力が彼を天才にしていただけかもしれない。
亀井から話が外れてしまった。
亀井は悩める天才である。天才は悩んでいるうちが美しい。えげつなく見えてくるとき、おそらくは天才を開花させたときだが、その天賦の才に、ボクらは卑屈に落差のあまりの大きさを嘆くのである。憧れぬ。感嘆するのだ。