交差点で手を振る

通勤時に交差点でたくさんの人が手を振っている。
大きな看板が掲げてあって、そろいのポロシャツのおじさん、おばさんがとにかくその看板の人を応援しているらしく手を振っている。参議院議員の立候補者のようだ。ああ、こういう選挙をしているんだなと思うと、投票行動が決まり始めた。政策選挙って一体どこで吹いている風なのだろうと思わせるくらいに古くさい。と思っていたら、今朝は別の候補もやり始めた。
結局、どんな意志で投票するんだろう。応援している人が勝ったという、ワールドカップサッカー的なノリで感動することでも楽しむのだろうか。人に入れているとも思えないし、党に支持を与えているわけでもなく、勝つ方に投票する。いや、そうじゃないな。何かを期待しているのだろうが、その期待が何なのかだろうと思う。
「バラマキ政治」とか揶揄されているけれど、ボクは「モノゴイ政治」だろうと思っていて、政治が主権者が行うものなので、議員がばらまくのではなく、主権の切り売りよろしく白紙委任することを条件にモノゴイしているように思える。いやしくも国政選挙に出馬する人は、地域に何かを誘導するのではなく、国家のリーダーを目指すべきだろう。地方選挙と国政選挙の違いはそこだ。
小学校の時、児童会長に立候補したことがある。ボクを応援してくれるMくん*1の応援演説が秀逸で、ボクは当選した。おもしろいことをどれだけ言えるかがどうやら重要で、それは中学校の時も同じで、ボクはsくんの応援演説をしたが、ふだんおもしろいことを言っていても小さい頃「のびのび」という朝日新聞教育誌を読んでいたこともあって、政治的な(って、学校なんだが)話ではなり切れない。当時、4組だったMくんは、再び応援演説で支持を取り付け、支援者を当選させた。高校の時には、最初の立候補者が不信任を受けた非常事態に立候補し、アジテーションした挙げ句、圧倒的な数字で不信任された。このときには、Mくんは進学校へ行っており、やはり、ボクの力ぐらいではどうにも人の心など動かせないと気付いた。このとき、担任のU先生が、演説自体を評価してくれたおかげでボクは失語症にならずに済んだ。
少年少女の世界でもそれほどに過酷で、辛辣な選択がある。交差点で看板もって通勤のみなさんに手を振るだけで投票行動に有利に働くほど、大衆は愚かだろうか。マニフェストさえも情報の浪費の中ですでにすり切れたのだろうか。
案外そうかも知れない。ソフトバンクのCMで連発する「エベレスト」がさっぱりはやっている気配を見せない。それは、マニフェストの劣化によるものかもしれない。

*1:当時、欽どんに投稿してジャンプ賞をもらっていた