嘘つき

マニフェスト選挙とかなんとかいっているけれど、具体性が出た分だけ、このモノゴイ政治の中では急速に絵に描いた餅でももらいたいという希求がとにかく圧力を強めて前面に押し出してくる。そうなると、もちさえ見えなかったときや、もちが半分になってしまうと途端に「嘘つき」呼ばわりされることになる。
昨年の総選挙後、政権が交代したが、予算は既に国会承認を得て執行済みや執行段階に入っているので、それを国会的な手続きなしに停止やら組み替えやらをどんどんやったとしても、早々簡単に変えられるはずもなく、ようやく新政権下で成立した予算が執行されるに及んで、さて、どうなるのかというのが、本来の議会政治の道筋だろうと思う。
ところが、怖いのがこのモノゴイ政治でいとも簡単になぜ実現できないのかとなり、一方で、あの白い服の女性が容赦なく切り捨てた予算による弊害が見えてきたりもして、どうにもちぐはぐで、モノゴイ圧力は強まるばかり。
そこへきて、少しご浄財を分けて欲しいと言われたものだから、民意と言うほど高級かどうかはわからないが、一気にある方向をめがけて駆け出しそうな勢いである。でも、その方向にしたところで、あてがあるわけではなく、こっちのワゴンセールが終わったので、とりあえず隣のワゴン、見栄えのするワゴンへ群がってみるだけのことで、そこに何か欲しいものがあるわけでもない。ただ、駆けつけておかないと何か得が出来ないのではないか、このところの情況をよく示すことばだと思うのだが、「損をする」のではなく、「得ができない」という切迫感、つまり、上乗せ底上げの貧困感みたいなものがひしひしと迫り、のちのちの後悔につながるのも嫌なので、とにかくワゴンに駆けつけることだけはやっておこう、行列にだけは並んでおこうという意識が流れている。
嘘つき呼ばわりされるのは、そんな意識で駆け付けているのに、何も「得」がなければ、そんな宣伝文句も、過大広告も、呼び込みさえなかったのに、ワゴンの方であり、勝手に出来た行列に指弾されるお店の方であったりする。
そんなバカなと思うのだが、NHKに相撲中継をなぜ止めたと言い寄る人々が、「楽しみにしている人がいる」などという幼児的な批判をするようなものだ。その理屈なら何でも出来る。某党はこういうのが好きだ。理路整然と話すのでだまされてしまうことも多いのだが、相撲中継を楽しみにしている人が生き甲斐にしている中継がなくて切ない思いをするのだと、その声は、相撲協会に届くべきもので、NHKではどうにもならない。小学校から言語活動とかを活発にやっている今の世代が老人になるまでには相当間があるので、当分、この違和感は継続しそうだ。いや、案外、結局同じ事になるのかも知れない。
モノゴイ政治の帰趨が楽しみでもあるし、ぞっとする未来でもあって、心配も深まる。