世論雪崩

五山送り火の右往左往を巡って、最近の声の動きの奇妙さに立ち止まっている。
最初の報道は、放射性物質の懸念について意見が寄せられ、送り火での使用が中止されたというもの。是非については取り立てて沸いていない。この段階では案外人の口の端には上っておらず、その状況が一変するのは、批判の意見が多数寄せられたというあたりから。個別の事件を指定することはしないが、こうした動きが目立つようになっている。
どういう動きかというと、事実が流れている間にはすぐに判断したり、自分の考えを示さず、黒白がつき始めたり、ある権威筋が発言を始めると急激に立場が凝集し始める。日和見という態度には違いないが、ふらついているというのか、功利的というのか、そういう感じでもなく、自分もそう思うというフォロワーの大雪崩が起きてしまう。勝ち馬に乗る、便乗する、などの言い方が思い出されるが、こうした傾向は以前はそこそこの中年のコンサバ感覚にあったはずだが、若い人にむしろ強い感じがして気味が悪い。
サイレントマジョリティではなく、便乗マジョリティが世論の全層雪崩を引き起こす。それは、学力重視とか言いながら考える暇を与えず知識を叩き込むような教育を望む世間が背景にあるようにも思えるが、幸い多くの教育現場は健全で、知識を叩き込むだけでは何も生まれないことを知っている。とすれば、では、この状況はどこからきたのか。考えるだけでなく、しっかりとその根拠を示すような、また、その根拠を人に伝えられる力をもとうとする新しい学習指導要領の考え方が広がったとき、こういう様子が変わるのかそうでないのか。見えない結末に焦らずに取り組めるのは、まさしく、テツガクが必要になる。