一定の目処がついた

明日からは忙しくなりそうなので何とか今日やりたいと思っていた原稿2本目処を立てた。
ひとつは、ある人物のクロニクルを書くもの。網羅するものがたくさんあるのだが、約30パーセントつめた。さらにそのサマリーも何とか許容範囲に収まった。ある館報に掲載されるものだけに、数字が難しい。文献に、次男、三男と諸説があり、さらに、年代を明らかに違えていると思われるものもありながら、確定する根拠もこっちにはないので、両論併記もいいところで、説明する余裕もないので自然、玉虫色。
もうひとつは、町歩きの講座のルート。どうやら何とかなりそうだが、後半のだれた感じがどうしようかと思っていることと、食事場所がないのに苦労している。どうしようかな。お寺を借りるのが一番と、今のところ、考えている。まさか宗教上の理由で本堂で食事できないなんてことはないだろうなあ。これは実際に歩いてみないといけないと思うが、ざっと2時間かかる。説明付きでその倍。実際の行程もそのくらいかかるので、いやなかなか難儀を引き受けてしまった。
かけられた声には逆らわず、仕事は断らないのが信条というのも、そろそろ年齢と共に無理も利かなくなって、考えものなのかな。
こういう仕事をしていくと、やけに勉強になって楽しいということはあるけれど、じゃあ、本当に正しいのは何かと聞かれると立ち止まってしまう。そういう話も、こういう話もあっておもしろいというところで勘弁願う。
まだまだ、取材と交渉が続く。後者はお手当も少し出るが、前者は全くのお役目。おもしろくないことはないので、それはそれで知的な興味を刺激して元気になれるけれど、能力以上のことを引き受けていないかと心配をしている。
では、次の仕事にかかろう。
面倒なパソコンによるプレゼンテーションだ。でも、いつから、「プレゼン=パソコン」のぺらぺらってことになったんだろう。子どもが教室で何かを発表するだけでなく、意見を出すのもいわばプレゼンだと思うんだけど、知り合いの先生たちの多くは、「プレゼン」というと「パワポ」を指していて、それ変だよねーって話すと、「キーノートもありますからね」と返されたことがあってびっくりしたことがある。よくフィールドワークでやるんだけれど、見つけてきたものをスケッチブックに描きながら簡単に説明していくようなのもプレゼンだし、資料説明も何もかも、ネゴシエーションにかかることには付きものと思っていただけに奇妙な感じがした。そういうところは、どうなんだろう。学校ではどういう言い方をしているんだろう。学校標準が社会標準に置き換わることも少なくないだけにちょっと気になるなあ。